PR for 地域を変えるビジネス創造講座
地方創生の掛け声で、地方でのまちづくりが盛り上がると同時に、都市部でのまちづくりも注目を集めています。
例えば、渋谷区は「協奏するまちづくり」を掲げ、ロンドン・パリ・ニューヨークといった各国を代表する都市にならぶような街になることを掲げています。その目標に向かい、渋谷駅周辺の再開発といったハード面と、渋谷区らしさを考えるソフト面の両輪でまちづくりが進んでいます。
ビジネス街というイメージが強い千代田区の神田でも、まちづくりを行う動きが盛んです。大手企業がリードし、新しいビルが竣工したり、新しい人の流れを作るような動きが始まっていたりします。
そんな神田地域で、様々なイベントを仕掛け、新しい人と地域のつながりを作っているのが、株式会社クスール・コミュニティディレクターの河原田保彦さん。
「神田のイメージを変えていくような取り組みで、新しい価値を訴求していきたい」と語り、まちづくりをアイデアでリードしています。
東京のまちづくりの手法とは、どのようなものなのでしょうか。
24歳のときの「体験をつくる」という衝撃
河原田さんを一言で言い表すなら、「どんどん外に飛び出し、誰とでもすぐ仲良くなってしまう人」。この背景には、河原田さんの好奇心と体験へのこだわりがあります。
転機は24歳で建築を学んでいた頃に訪れたと、河原田さんは振り返ります。
今でこそ、「モノからコトへ」ということが言われていますが、当時はまだそんなことはなくて。
建築の授業の中で、「中で住む人の体験が大事」という話があって。そこから体験を意識するようになりました。
建築を学ぶ中で、造形のセンスがないと感じるようになった河原田さんは、建築を設計できなくても、既存の空間を変化させることで、体験を変えることができるようになるのではないかと考え、レストランでの音楽ライブを手がけるようになります。
人があまり入らなくなってしまったという課題を抱えているレストランを、1日だけのライブ会場にして集客するなど、いろいろな場所での音楽ライブを企画しました。
それなりに上手くいって、盛り上がるようになって、こういう空間づくりをしていきたいと考えていました。
この活動は3年半続き、およそ200件以上の企画を手がけることになったと言います。
そこからPR会社を経て、まちづくりをおこなう神田の不動産会社で働いたことが、神田の街に関わるきっかけとなりました。
河原田さんが「人とつながり合いながら、場を作るのが仕事です」と語る神田のまちづくりとは、どのようなものなのでしょうか。
東京都千代田区神田。ユニークな街が舞台
ここで神田について少しふれてみましょう。
「江戸っ子だってねぇ」「神田の生れよ」・・・というセリフを聞いたことがありませんか。浪花節、『森の石松三十石舟』に出てくる有名な一節です。
神田は、昔から職人や町人の町として栄えてきました。戦後も、戦災を逃れた戦前の建物が残っていたり、古の歴史を今に伝える地域です。
現在では、ビジネス街としての側面も強くなり、商業とビジネスの街というイメージが定着しています。人口は約5万5千人ですが、昼間人口と夜間人口の差が80万人と非常に大きいのも特徴です。
エリアを眺めてみると、世界一の古書店街である神保町や、都内でも有数の珈琲店が集まるなど、ディープな文化が育まれた町であることもわかります。
河原田さんが手がけるのは、新旧の文化が入り交じった街だからこそできる、賑わいと体験づくりというわけです。
街の新しい切り口でイベントをおこない、人を集める
河原田さんが地元のコーヒー店「Glitch Coffee and Roasters」共同で手掛けたイベントのひとつが、「コーヒーコレクション」です。2日間にわたって開催された、世界最高峰の1杯が味わえるイベント。人気になり約5,000名が訪れるイベントとなっています。
デンマーク、オーストラリアといった海外や、国内でも福岡など遠方から世界最高峰のコーヒーショップを集め、贅沢な一杯を気軽に味わうことができるというイベントです。
コーヒーを片手に町を歩く若者の姿が増え、町の新しい風景を生み出しました。
また「プレイフルストリート」というユニークなイベントも手がけています。神田錦町界隈の12の企業と、地元の高校、総勢13団体が集い、子どもたち向けに、体験型のプログラムを提供する1日だけの特別イベントです。
「日常ではほとんど見ることがない、親子で街に足を運ぶきっかけを作りたい」と、あえて神田のイメージと離れた教育を切り口にイベントを構築。
21世紀は学びも変わるという中で、プログラミングだったり、何かを作る力であったり、そういうものを遊ぶように学ぶ体験づくりはこの街だから提供できるのではないかと考えました。
当日は親子連れで賑わい、様々なブースで展開されたプログラムは大盛況であったと言います。
河原田さんは、「神田と学びという切り口はまったく無縁でなかったことも大きい」と、この企画の背景を指摘します。
実は神田錦町は、東京大学発祥の地でもあります。
江戸から明治になり、武家屋敷が空き家になり、そこに大学に教科書を売り買いするためのお店がうまれ、それが今の古書店街のルーツに繋がるなど新しい文化が生まれてきたのが神田。
その街だからこそ、新旧が入り交じったような取り組みを受け入れてくれるのだと思います。
イベントでもっとも大事なのは、人がつながる価値
街を舞台にしたイベントを手がける上で大事にしているのが、「街との相性を合わせる」ということだと言います。
プレイフルストリートのように、学びという切り口で神田の歴史とつなげるという方法の他、街で活動を始める前に2年くらいで200人くらいの住民や働く人にインタビューを実施した経験から、リアルな声に耳を傾けることが重要だといいます。
まず街にどんな人がいるのか。何が求められているのか。をれを知った上で、イベントをつくるようにしています。企画者側の意図が先行するだけでは、街に根付くこともできないと考えています。
そしてイベントで大事にしていることは、コミュニティが続くような仕掛け作りです。
大事にしているのは、それぞれのイベントで活躍するボランティアスタッフです。河原田さんは必ず、スタッフだけで交流し、お互いに繋がれる時間を作るのだと言います。
一番熱量が高いのは、ボランティアスタッフとしてご協力いただける方々です。
同じテーマに対して、少しでも何かを学びたいという熱い想いで集っている。だからこそ、ここでのつながりをいかに作るかが大事だと思っていますし、「参加した皆さんに対して私達は何を還元できるか」を考えて様々な取り組みもしています。
イベントの開催前に、スタッフ同士が交流し相互に繋がれる場を作ること、スタッフだから体験できることを用意すること、イベントにスタッフとして参加したからこそ得られる体験を提供すること。
これらを通じて、スタッフとしてイベントをサポートする面々は、単なる一スタッフではなく、一つのコミュニティとしてつなげることができると言います。
コミュニティをいかにつくり、続くような仕掛けづくりができるかどうか。実はイベントでもっとも大事なのはそこかもしれないと思っています。
コミュニティが街をつくっていく
イベントの本質は、どれだけ人が来たかではなく、どれだけ街とのつながりが生まれたかということでしょう。
人と人、人と地域のつながりが、1回のイベントでどれだけ育まれるかということこそ、追求されるべきポイントだといえます。
何かを一緒に達成したり、成功させたりした仲間は、何かのきっかけで再起動できるようなネットワークであり、コミュニティになっているはずです。
地域でいろいろな場所をつくり、人と場をつなげる。そして場同士がつながっていく。そんな場を媒介にした有機的な人同士のつながりが、街を変化させ、新しい価値を生んでいくことにつながるのだといえるでしょう。