歴史群像シリーズ『図説・幕末志士199』(学研)剣術防具姿の高杉晋作
おもしろき
こともなき世を
おもしろく
すみなしものは
心なりけり
これは高杉晋作の残した辞世の句で、「面白くない世界を面白くするのは、その人の心次第だ」という意味です。
長州藩で成し遂げた彼の生涯は、数々の偉業を成し遂げた伝説的なものでした。
今回はそんな幕末に生きた男、高杉晋作の生涯を追ってみたいと思います。
上海留学を経て尊王攘夷思想へ
長州藩出身の高杉晋作は裕福な家庭に生まれ、幼い頃から学力優秀。
まさに麒麟児として名高い出だしを歩み始めました。
若くして上海に留学をしますが、アヘン戦争の敗北などによって徐々に植民地化されていく中国を目の当たりにした晋作は、帰国後「外国人を打ち払い天皇を貴ぶ」、すなわち尊王攘夷運動を開始したのです。
イギリス公使館の焼き討ちを計画したり、農民や町人たちを武装させた「奇兵隊」の総督として活動したりと、精力的に尊王攘夷運動に励んでいました。
長州藩のために奮闘! 藩への恩義
晋作はたびたび脱藩をしていましたが、時の藩主は晋作を可愛がっていたため、謹慎程度のお咎めで済まされていました(脱藩は、場合によっては死罪もありえる重罪でした)。
そんな長州藩のために晋作が奮闘していたエピソードが数多くあります。
例えば外国船砲撃を繰り返す長州藩に対して、4か国連合の艦隊によって壊滅的な被害を受けたとき、晋作は連合国の司令官と談判に臨みます。
圧倒的に不利な状況にも関わらず晋作は泰然自若としており、長州領である彦島の租借を退けたり、賠償金を幕府に払わせたりと、彼なりの交渉術で折り合いをつけていきました。
その後、長州藩の中でも政権を握る幕府寄りの派閥を討ち倒し、倒幕へと藩論をまとめた晋作は、幕府側との闘いに身を投じていきます。
「ゲリラ戦法」「10億円の船」高杉晋作の戦い方
この状況には幕府側も黙っておらず、過激思想を持つ長州藩を討伐するべく、幕府軍が次々に投入されます。
一時は周防大島などを奪われてしまいますが、海軍総督となった晋作は藩に無断で、3万6千両(現在の金額で10億円程度)もの大金を払い、購入した丙寅丸(へいいんまる)を使って夜討ちなどの戦法を使い、幕府の軍艦をかく乱します。
この作成は成功をおさめ、各地で戦う幕府軍に対しても長州軍はゲリラ戦法で勝利を続けました。
27歳の若さで幕を下ろした人生
この作戦のとき、晋作は肺結核におかされていました。
下関で療養生活を送るも病状が悪化、冒頭の辞世の句を詠み、27年間の波乱万丈であった人生に幕を下ろしました。
その破天荒な作戦、計画、行動力、そして思想は、現代の私たちに深い感銘を与えるものです。
参照元:matome 高杉晋作の生涯が凄すぎる