京都にある霊山歴史館で明日から一般公開される土方歳三愛用の刀「大和守源秀國」。この刀は戊辰戦争で使用されたとされ、後に土方歳三から秋月登之助種明へと贈られた刀であることも判明しています。
会津藩お抱え刀工によるひと振り「大和守源秀國」
土方歳三が戊辰戦争で使用した刀「大和守源秀國」は、会津藩のお抱え刀工・秀國によるもので、1866年8月に京都でつくられました。
細身でやや短く、刃紋がまっすぐな戦闘用の実用刀で、鳥羽伏見の戦をはじめとした、各地での戊辰戦争時に土方歳三が愛用し実際に使われていたとされています。
霊山歴史館では今後この刀の常設展示を行う予定で、公開される機会が少ない土方歳三の刀をいつでも見られるようになります。
参照元:霊山歴史館 歴史館ニュース, 朝日新聞2016年4月27日の記事
刀がつくられた1866年、その時新撰組は…
1863年に新撰組の前身となる浪士組が結成されてから戊辰戦争が集結する1869年までの約7年というわずかな期間に数々の歴史の局面にいた新撰組。
1864年には新撰組の名を世間に轟かせたといわれる池田屋事件が起こり、1865年には新撰組幹部・山南敬助の切腹、そして隊員の増加に伴う屯所の西本願寺への移転などがありました。
翌1867年には幕臣への取り立ても決まりますが、伊藤甲子太郎の離隊、近藤勇が狙撃される事件も起こり、1868年には鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争への突入へと時代は流れていきます。
刀がつくられた1866年は隊員の切腹や死亡などはあったものの、他の年と比較すると事件が少なく、激動の新撰組の年表において表向きには唯一、穏やかとも言える1年であったようです。
土方より刀を贈られた秋月登之助種明
土方歳三が愛用したこの刀の表銘には、後に会津藩士・秋月登之助種明に贈られたことが刻まれています。
秋月登之助種明は会津藩士で、1863年に松平容保が上洛した際に共に京都へ入ったとされる人物。戊辰戦争が始まると、幕府陸軍の七連隊に転入し、その後はフランス軍事顧問団の指導を受けた西洋式軍隊で、江戸幕府の精鋭部隊として編成された「伝習隊」の第一大隊長に任命されました。
土方歳三はこの隊において参謀をつとめており、秋月登之助種明は土方より7つ年下ながら土方の上官にあたる人でした。人気のある秋月を尊敬していた土方が、この頃に刀を贈ったと言われています。
共に戦いを生き抜いてきた土方歳三と秋月登之助種明ですが、宇都宮城をめぐる攻防で共に負傷。治療のために会津へ向かった土方とは田島で別れ、会津戦争後の秋月の消息は不明とされています。
参照元:会津若松市ホームページ 秋月登之助