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高知移住で見つけた、新しい仕事の仕方-terzo tempo (テルツォ・テンポ)

高知移住で見つけた、新しい仕事の仕方-terzo tempo (テルツォ・テンポ)

    CATEGORY:移住 AREA:高知県

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大阪から車で4時間弱。明石海峡大橋を渡り、淡路島から徳島を抜けて、高知へ。四国へ入ると窓から見える景色が一変する。空が広い。そして、何より違うのが山の形だ。山脈というのではなく、ぽこっぽこっと一つずつお椀を引っくり返した様な、日本昔話に出て来そうな小さな山が、いくつも窓を通り過ぎて行く。

高知駅から歩けば20分程の所にある、terzo tempo (テルツォ・テンポ) という小さなカフェ。9月も後半だと言うのに、夏の様な日差しが降り注ぐ日曜の朝、300年以上続いているという日曜市を存分に楽しんだ後に、店主の佐野寛氏に話を伺った。

バンド経験から、音楽系の企画会社に入社

東京で生まれて、2007年に高知に来る迄は、ずっと東京暮らし。大学時代にバンドをやっていた事もあって、卒業後は某大手レコードショップで働いていた。バイトで入って、契約社員にという流れだった。だけど、とにかく給料が低くて続けられなかった。CD屋で働いているのに、生活費の為に自分のCDを売らなくちゃならなかったり、どんどんと生活が荒んで行った。

それで、一度ちゃんとした社員になるのも良いだろうと思って、ある音楽系の企画会社に入った。それは、あまり深く考えずに、ボーナスが出る仕組みというのをずっと不思議に思っていて、ボーナスが出ればどこでも良いやぐらいの気持ちでその会社に決めた。

ボーナスは、麻薬!?

実際に働いてみて、ボーナスっていうのは、麻薬みたいだなと思った。会社で嫌な事とか理不尽な事があっても、あと何ヶ月か我慢すればまとまったお金が入る。そして、そのお金を使ってストレスを発散する。多少の事があっても、それでプラスマイナスゼロか、と思ってしまう様な仕組み。

そういう事に感覚がどんどん麻痺していってしまう。仕事をしながらずっと文句を言っているのが嫌だった。生活があるし、とかっていうのを言い訳にしてしまう。そういう生活をずっとは出来ないなと思った。

自分の場所を持ちたいという思い

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東京の高い家賃を払っているのが嫌になっていて、あとは、雇われるのではなくて、自分で仕事を作るにはどうしたらいいかとか、それがカフェなのか雑貨屋なのかCD屋なのかは分からなかったけど、自分の場所を持ちたいとか、そういう事を考えていた。

東京以外の土地に住んでみたかったというのと、妻の実家があって、幸い住む場所もあった。それで高知に移り住む事にした。

今でこそ移住して来る人が増えたけど(特に震災以降)、僕達が来た頃にはそんな人達はあまりいなくて、「何でこんな田舎に来たの?」「物好きな人だね。」という様な反応だった。

でも、意外と高知っていろんな人達が、昔から流れ着いている様な土地で、他所から来た人でも受け入れてくれる度量がある。今でも移住組や若い人達だけで固まるのではなくて、地元のコミュニティと良いバランスと距離感で、混ざっていっている。

始めは、もしダメでも東京に戻れば良い、というぐらいに思っていたけど、今では全くそんな風に思わない。この場所に恩返しをしたいと思っている。この場所で教えられた事が沢山ある。

コミュニティの中で、しっかりと良い物が伝わる

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東京から離れている分、 流行に左右されないというのも良い。東京に比べれば数は少ないかも知れないけど、面白い事をやっていたり良い物を作ったりしている人たちはいて、例えば、「お、その服良いね。」なんて話題になると、「あぁ、これはどこそこの誰々さんが作った服なんだよ。」という様な話によくなる。

そう言う事は生活のあるゆる場面であって、ローカルではあるけど、コミュニティの中でしっかりと良い物が伝わって行く事を感じる。それは、きっと皆個人個人がちゃんと自分自身の尺度を持っているからだと思う。

 だから最近は人と人との繋がりとか縁でイベントをやる事が増えた。そういう気持ちは高知に来て変わってきた。自分でこうやりたいとかこんな風にありたいというのは、実はちっぽけな事なんじゃないかと思う様になってきた。

ダイレクトに伝わる「ありがとう」

たまに東京とか都市部に行くと、東京に住んでいた時にはあまり思わなかった様な事をふと思う。一番の違いは余裕なんじゃないかな。心を他の人へと開いておく余裕が東京にはない。

例えば、こっちで買い物に行ってお店の人に話しかけると、そこから全然関係のない話になったりする。そして、お互いにそれを楽しんでいる。

だけど、東京のお店では、こっちが聞いた事に対してのみ、これはこうで、という答えが返ってくる。自分の言葉で喋っているという感覚もない。もちろんそういう所ばかりではないのだろうけど。こっちでは「ありがとう」という言葉も凄くダイレクトに伝わって、そして返ってくる気がする。

お金だけじゃないサイクルが自然と生まれる。

東京みたいに、好きな事をして暮らしていて、ちょっと今月お金が足りないから短期バイトを、みたいな事は出来ない。

それは、良い意味でもめんどくさいっていう事なんだけど、割り切ってお金の為にという様な働き方は出来ない。どこかに雇われるにしたって、小さな商店とかばかりだし、被雇用者の立場でも、すぐに雇用者の内情が垣間みれてしまう。

「あぁ、今月大変だろうな、台風来たし、雨多かったしな。僕がこんなに給料もらったら、自分達の分ほとんど残らないんだろうな。」

という様な事をすぐに想像出来る。そしたらやっぱり「じゃ、これ も余分にやっておくよ。」という様な、お金だけじゃないサイクルが自然と生まれる。

働く事とかお金の流れが、人とダイレクトに繋がっているのを感じる。だから結局は人との繋がりで、何かを始めるのも辞めるのも自分の都合だけでは出来ないんだなと思う。しっかりと、自分がこの場所に生かされているというか、場所と生活と自分の出来る事とが結びついて仕事となっている。

得意な事を分担し、新しい仕事の仕方も生まれる。

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それにしても、やっぱり、雇用がない

高知に戻りたいと思っている人とか、高知って良いなと思っている人が沢山居ても、働く所が少ない。多くの若い人達は、やっぱり高知には戻れないか、高知では暮らせないかと思ってしまう。

確かに、都市部で雇用と呼ばれる様な仕事の在り方は高知では生まれにくいのかも知れない。何かよっぽどの事が無い限り、ここに何百人も従業員を抱える様な大きな会社が出来るというのは想像出来ない。

でも、自分一人分、もしくは家族の分ぐらいの仕事だったら自分自身で作れるかもしれない。

そういうふうに、2〜3人の小さな輪でも沢山集まれば、得意な事を分担してやって行くというだけで、新しい仕事の仕方も生まれる様な気がする。

お金は沢山稼げないかもしれないけど、野菜を作れる様になるかもしれない、魚を獲れる様になるかもしれない、そういう事を知っている人は近い所に沢山いる。

音楽だけとか、アートだけではなくて、そこに農業の事とか食の事とか、色んな小さな円が少しずつ重なって行く様なそんな場所にしたいと思っている。