秋田県民歌、3番と4番の謎

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秋田県民歌、その歌詞に迫る。

先日の記事で、80年続く日本最古の県民歌である「秋田県民歌」の成立について、ざっとご説明しました。

今回は、秋田県民歌の謎についてお話します。

秋田県民歌、3番と4番の謎

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まずは、3番・4番が省略される理由について。

理由その1
長いから。
学年に何人か、校長先生の話が長すぎるあまり貧血を起こして倒れてしまう生徒がいませんでしたか?
つまりそういうことです。

理由その2
冗談はさておき、本当の理由は「3番の歌詞」の中にあります。
では、ここでその歌詞をみてみましょう。

篤胤信淵 巨人の訓(おしえ)
久遠に輝く 北斗と高く
錦旗を護りし 戊辰の栄は
矢留の城頭 花とぞ薫る
歴史はかぐわし 誉の秋田

平田篤胤・佐藤信淵は、それぞれ秋田で生まれ、江戸で活躍した思想家です。それぞれが、さらに医師でもあったり、農学者でもあったりする誇るべき先人たちです。前半ではこの2名をたたえていますね。

さて、問題はそのあとです。

複数の藩をまたぐ秋田県、異なる戊辰戦争時の立場

「錦旗を護りし 戊辰の栄は」と続きます。

戊辰戦争の折、秋田県の源流である久保田藩は奥羽越列藩同盟を抜けて官軍に味方し奮戦、みかどの掲げた錦の御旗を護って勝利しました。その時のことを歌っています。

いったい、何が問題なのかとお思いでしょう。

かつて久保田藩として存在した地域がそっくりそのまま秋田県になっていれば、たしかに何の問題もなかったかもしれません。

しかし、現在の秋田県には、かつての南部藩領、さらには亀田藩領も含まれているのです。この2藩は奥羽越列藩同盟を抜けることなく旧幕府軍に味方して戦い、そして敗れました。

当時この2藩に属していた地域(小坂町、由利本荘市など)に配慮し、3番・4番を省略して歌うようになったのです。

「故郷」「朧月夜」を手掛けた、高野辰之の存在

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秋田県民歌を知る上で、もう1つお伝えしたいのが、歌詞の変更です。

秋田県民歌の作詞者は、倉田政嗣。作曲者の成田為三とは秋田の師範学校の同級生です。まずは、彼が応募した歌詞のうち、1番を見てみましょう。

秀麗気高き鳥海の嶺
狂潤吼え立つ男鹿の島山
神秘の十和田は田沢と共に
世界に名を得し誇りの湖水
山川皆これ詩の国秋田

歌いだしの歌詞を取って、秋田県民歌は「秀麗無比なる」とも呼ばれます。

しかし、倉田原案の歌詞を見ると、歌いだしが現在の歌い出し「秀麗無比なる 鳥海山よ」とは異なっていることがわかります。

倉田から見た鳥海山は、「秀麗気高き」ものだったのでしょうね。

これを「故郷」「朧月夜」などの唱歌を手掛けた高野辰之が「秀麗無比なる」と変更しました。気高き鳥海山を「ほかに比べるもののない」と表現したのです。

その他にも細かい修正はありますが、この歌い出しの変更が、歌詞全体に影響を及ぼす最大の変更点であったと筆者は考えます。

80年の歴史をもつ、秋田県民歌

このように、秋田県民歌は倉田の原案から高野の修正を経て、さらに成田の作曲によって今日の姿となり、制定から80年以上もの間、愛される歌となりました。

次回は、制定から80年の間、秋田県民歌は本当に県民に愛されていたのか? これをテーマに書きたいと思います。お楽しみに。

12180082_864866690299573_72411919_n寄稿者:かぜのこ
帰秋を切望しながらも都内で働く社会人3年目。大曲の花火について語らせると小一時間はとまらない。最近の趣味は秋田の母がつくった作品の広報・売子。1990年生まれ。秋田市出身。Twitter:@fmk424

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