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150年続く老舗醸造元の挑戦、秋田から日本の醸造業の価値を世界へ伝える

150年続く老舗醸造元の挑戦、秋田から日本の醸造業の価値を世界へ伝える

    CATEGORY: AREA:秋田県

秋田県の南東部に位置する湯沢市。

自然豊かな地で育まれた、伝統の食文化を守り続ける人たちがいます。そして、「伝統産業である日本の醸造業、その価値を世界に伝えたい。」と考える、老舗醸造元の後継者がいます。

醤油・味噌の蔵元として150年続く老舗「ヤマモ味噌醤油醸造元 髙茂合名会社」の常務取締役であり、代々継承される名跡「髙橋茂助」の7代目・髙橋 泰さん(37歳)にお話を伺いました。

伝統産業ベンチャーの礎

幕末の時代から続く、老舗の味噌醤油醸造元。

そんな家系に生まれながら、「若い頃は、全く継ぎたいと思いませんでした。」と言う、髙橋さん。しかし、心のどこかで「罪の意識」のようなものがあったそうです。

髙橋さんは、高校卒業後に千葉大学のデザイン工学部に進学。故郷から離れ、様々な刺激を受け、バックパッカーとして海外へも旅行し、やりたいことや好きなことに没頭したと言います。(それが後に、家業の新規市場開拓や海外展開に大きな影響を与えることになります。)

大学卒業後、秋田の家業を継ぐことを見据えて、東京農業大学の短期大学部(短期醸造学科)に入学。2年間、醸造学を学んだ後、大手醤油メーカーに入社。社会人として商品開発を学び、実家へと戻りました。

その時、27歳。そこで、故郷の現実と向き合うことになります。実家の現場は、これまで学んできたことと違うことばかりで、苦悩したと言います。

後継者としての苦悩と進展

「最初の1年が特に辛かったです。住む空間と働く空間が同じ環境であることも、ストレスでした。今思えば、自分で選択したはずなのに、色々なことをどこか親や家のせいにしていました。」と、塞ぎ込んでいた当時を髙橋さんは振り返ります。

東京での新規市場開拓や海外での事業展開というビジョンがまだ無い状態の中で、自身がそれまで学んできたことと現場のギャップを日々感じながら過ごしたと言います。

そこでまず、髙橋さんはできることから行動を起こし始めました。

これまでのやり方や在り方に固執する人たちを説得し、古いものを改革し続けることでしか、前に進めません。苦しみが伴うプロセスだからこそ、それにチャレンジする意義があります。

最初は、会社のホームページやパンフレットの制作に取りかかりました。

商品の味を変えたり、パッケージを新しくしたりすることは、既存の顧客・ファンがいるため、急にできることではありませんでした。一方、販売促進のツール開発なら会社としても問題無いということで一任され、自由にできたそうです。

そこで、海外への販売を想定し、架空のデザインで外国人に向けてのホームページを展開したところ、お客様から反応があったと言います。

アウトソーシングせずに、自分でやり始めたのが良かったです。会社のフィロソフィーや大切にしていることは、自分たちの言葉で伝えるべきだと考えています。特に私たちのように、製品が似通っている業界では、尚更その部分が重要になります。ワイナリーのように、自らの趣向と産業をミックスさせ、生き残っていくブランドづくりをしていきたいです。

世界に誇れる日本の醸造業

5年前から動き始めた、海外展開。その後、海外の市場調査を経て、ロゴマークやパッケージのリデザインを行い、外国語対応のオンラインショップも展開。その活動は、2013年度「グッドデザイン賞」にも選ばれました。

海外を視野に入れた活動を続け、世界における日本の醸造業を客観的な視点で捉えるようになったと言います。そして、髙橋さんには1つの使命感が生まれました。

日本人は、まだ醤油や味噌の魅力を海外で伝えきれていません。「味噌・醤油をつくる」という日本の伝統産業を日本人の手によって、もっと世界に誇れる文化的価値の高いものにできると私は信じています。

先人たちの想いと共に、地域の自然・歴史・文化を受け継ぎながら、現在の日本の醸造業は成立しています。それを踏まえ、これから世界と共に生き残っていくのであれば、「自分たちが何者であるか?」という問いに改めて向き合うべき時だと考えています。

その中で、髙橋さんは「味噌・醤油をつくる」という営み自体に価値があると考え、醸造工場の体験を売る「ファクトリーツアー」を展開しています。

醸造業の伝統を受け継ぐだけに止まらず、イノベーションを起こし続けるための取り組み。100年企業の新たな挑戦です。

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