地方に移住して店舗付住宅でカフェを開業…と聞くと、つい「そうすることが夢だったんですか?」と聞きたくなる。しかし、宮城県南部にある丸森町の「カフェ ペルシッカ」の西岡恵豊(にしおか・けいと)さんは、ご本人とお店のほのぼのした雰囲気からはちょっと想像しないような、合理的な経営マインドの持ち主だった。
丸森町に移住したのはたまたま、飲食業を始めたのもたまたま
西岡さんは東京の出身で、最初のキャリアはSEだった。しかし共通の趣味で知り合った現在の奥様・理絵さんが仙台出身であったため、仙台へ移住することになり、就職活動の結果「たまたま」飲食業界に入ったという。
そこで数年勤務した頃、義父が生まれ故郷の丸森町に戻ることになり、理絵さんにとって、また、子育てをするのに実家が近い方がいいだろうということで、「たまたま」丸森町への移住が浮上した。その際、仕事として選んだのが「カフェ ペルシッカ」の開業だった。
起業するなら、都市で埋もれるより、地方に「無い」ものを作った方がいい
西岡さんは企業に勤めているときも「いつかは独立・起業するつもりで」働いていたという。しかし業種に特にこだわりはなく、ただ「何かしら自分でビジネスをしよう」という気持ちだけは最初から持っていた。両親や親戚が経営者ばかりだったというのも影響しているのかもしれない。大きな夢というわけでもなく、「いつかはそうするだろう」という感覚だった。
仙台で飲食業に就くまでは、接客に興味を持ったことも厨房に立ったこともなかったが、幅広い業態で多店舗展開していたその会社で、ホール、キッチン、営業、製造や商品開発、コーヒーの焙煎まで、さまざまなことを経験した。丸森町に移住するとなった時に、「ならばこの経験を活かして起業すればいい」と考えた。起業するにあたり、田舎はむしろ有利だと思ったのだという。
西岡さん「都市部で埋もれる店を作るよりも、田舎でまだ無い店を作った方がうまくいくと思いました。出店するにあたり、「丸森に無いもの」をリサーチして、「みんなでコーヒーを飲みながら話をできる場所が丸森には無い」と思ったからカフェにしました。
定食屋が足りないと思えば定食屋を作ったと思うし、日本料理店が足りないと思えば日本料理店を作ったと思う。「これをやりたい」というこだわりは無いんです。
■起業以来、収入が会社員時代の給与を下回ったことは無い
ペルシッカのメニューや内装も、開店してからお客さんの反応を見て徐々に調整してきたという。売上は順調に上がり、自分の自由になる収入は会社員時代の2〜3倍になったそうだ。
西岡さん「自分と家族が幸せに暮らすため、生活費+将来投資のためにこれくらいの収入が欲しいという目標がまず先にあって、そのためにはどんな業態、どんなメニューでどんな価格設定をしなくてはならないか、という順番で考えます。
最初の計算ではもっといく予定だったんですが(笑)いろいろやってみながら徐々に目標に近づけていっている感じですね。ただ、起業してから一度も会社員時代の年収を下回ったことは無いです。」
■人口減と少子高齢化は、何のマイナスにもならない
そうは言っても、「人口の少ない地方の町では商売が成り立たないのでは?」と、いうのが多くの人が抱く感覚である。丸森町は一部の平野をのぞき山がちな地形で、全国の例に漏れず人口減少と少子高齢化の真っ只中にある中山間地域だ。
さらに、ペルシッカのオープンを計画したのは2011年の東日本大震災と原発事故による風評被害もまだ根強かった時期。周囲で賛成してくれる人は誰もおらず、両親にも「東京に戻って来たら」と言われたという。それでも西岡さんは、それらの要素は自分がやろうとすることにとって何のマイナスにもならないと考えた。
西岡さん「丸森の人口は当時で約1万4000人。今で1万3000人くらいでしょうか。それが次の年にいきなり半分になるわけじゃないですよね。それなら、商売は十分成り立つ。何の支障も無いです。それが20年後、30年後に成り立たなくなるというなら、その間に培ったものを使って次にどうするか考えればいい。
もし失敗しても、その失敗を糧にまたチャレンジできると思いました。不安がゼロだったわけではないですが自信はありましたし、2年、3年とやってくるうちにどんどん不安が減って自信が大きくなっています。」
■誰もやらないなら、自分がやる-田舎では何だってできる
ペルシッカは町役場のすぐそば、丸森町の一等地にある。この土地はもともと妻・理絵さんの親戚が持っていて、義父の尽力もありスムーズに譲ってもらうことができた。こうした「縁」も、人生の選択では強みになる。地方には、使っていない土地に固定資産税を支払い続け、草刈りに苦労する不動産オーナーがたくさんいる。
西岡さん「そういう土地や建物はたくさんあるし、条件さえ合えば、都市部では考えられない値段でそれらを買ったり借りたりできますから、自分のやろうとすることと合致すればいくらだってやりようはある。地元の人ほど「ここには何の価値も無い」って言いますけど、そんなことはない。可能性はいろいろあります。
むしろ「誰もやらないんだったら私がやるよ」という感じです。ペルシッカ1店舗で終わるつもりなわけではなくて、チャンスがあれば多店舗展開したり、別の業種にもチャレンジしたいと思っています。実現するにはいろいろ条件が整わないといけませんが、アイディアはいつも考えています。」
目的はシンプルに「自分と家族が幸せに暮らすこと」
西岡さんの家族は、妻の理絵さんと、3歳になる娘の恵舞(えま)ちゃん。取材の間に保育園から帰って来て、愛らしい笑顔をカメラに向けてくれた。会社員時代は帰りが遅く、家族と過ごす時間は少なかった。
西岡さん「私はあんまり地域活性化とかは考えていないんです。自分と家族が幸せに暮らすことが一番の目的です。子育てをするのに「なるべくたくさん子どもとの時間を取りたい」「成長していく姿を見たい」と思ったことも、この起業スタイルを選んだ理由の一つです。場所を決める時も、保育園が近いのが一つの決め手になりました。
家族と幸せに暮らすために、カフェじゃない方がいいならばそれをやると思います。「何がやりたいか」が先にあるのではなく「どんな風に暮らしたいか」が先にあって、そのための仕事を作っていけばいいと思っています。」
西岡さんの考え方は極めてシンプルだ。「家族と幸せに暮らすために」地方で開業することが最適な手段だったと語り、それを体現する姿は、現在の地方でも十分にビジネスは成り立つことを証明している。
「目的のために必要なことを積み上げる」という等身大の起業家精神に触れると、そもそも会社に勤めることや都市に暮らすことが無難な解だという考え方自体が、揺らぐのではないだろうか。