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地方移住者が、築100年以上の旅館をリノベしてはじめた地産地消の食堂

地方移住者が、築100年以上の旅館をリノベしてはじめた地産地消の食堂

    CATEGORY: AREA:三重県

松本耕太さん(上木食堂の前にて)

2016年11月、三重県いなべ市に一つの食堂がオープンした。経営者は、愛知県知多市出身の松本耕太さん。名古屋市のカフェで働いていた松本さんは、同い年で野菜の直売イベントで知り合った農家の寺園風さんに誘われ、いなべ市に移住を決意。築100年以上経つ旅館をリノベーションして「上木(あげき)食堂」を開店した。

上木食堂はオープン当時から大きな話題となり、地元はもちろん、名古屋市や近隣の市街から多くの人々が訪れている。地元の支援や協力の下、移住者が古い町に新しい風を吹き込んでいる。

築100年以上の古民家をリノベして、食堂に

いなべ市北勢町阿下喜に上木食堂がオープンしてから、ちょうど2年目を迎える。地元はもちろん名古屋など遠方から訪れる人も多く、人気を集めている。予約しなければ、12時前には席が埋まってしまうこともあるという。

紺色ののれんに白で染め抜かれた、上木食堂のロゴマーク。文字を丸く囲んでいるのは稲穂だろうか。このマークは、経営者の松本さんがデザインした。

元は旅館でしたが、長年空き家になっていたため当初はボロボロで、お祭りの際に倉庫として使われていたようです。補強工事など基礎の部分は大工さんにやってもらいましたが、塗装や装飾の部分はすべて自分でやりました。

松本さんは、愛知工業高校のデザイン科出身。ものづくりが好きで、食堂を経営しながら人が集う空間を自らの手で作ってきた。建物の持つ歴史に松本さんのセンスとアイデアが加わり、見事な調和を生みだしている。

移住を決意させた友人の言葉

高校卒業後、松本さんはいつか独立することを夢見てサービス業の世界へ踏み出す。アパレルから飲食に転身し、カフェやバルなど様々な業態の店を経験した後、名古屋市中区栄にあるカフェの立ち上げに関わり、店長として多忙な日々を送っていた。

ある時、マルシェのように店で野菜を販売したいという話が持ち上がり、おもしろそうな農家はいないかと探していた松本さん。そんななか、三重県いなべ市に移住し自然栽培で「八風農園」を営む寺園風さんの存在を知る。

寺園は月曜と木曜の週2回、軽トラックで名古屋の飲食店に自分の農園で採れた野菜を販売しに来ていたんです。

店のイベント終了後、松本さんの店では寺園さんから野菜を購入することになった。自分と同い年ということもあり、親しく言葉を交わすうちに、松本さんは将来独立したいという夢や、知多で生まれ育ち、都会よりもいなかで店をもちたいという思いを話すようになった。

そんな関係が2年近く続いたある日のこと、松本さんは寺園さんから「おまえ、独立したいとか移住したいとか言ってたけど、あの話、まだ生きてるの?」と声を掛けられる。「何かあるの?」と松本さんが聞き返すと、寺園さんは話し始めた。

寺園さんが住んでいるいなべ市藤原町の隣にある阿下喜で、築100年以上経つ旅館だった建物が取り壊されようとしている。しかし、解体に入った業者の「こんな趣のある建物を全部潰してしまうのはもったいない。だれか使えないかな」という言葉を聞き、寺園さんは考えた。

(阿下喜には人が集まる場所がない。この建物を気軽に仲間が集まれる場所として使えないだろうか。どうせなら自分のつくった野菜を使ってごはんの食べられる場所になるといい。でも、自分は農家で店までやる余力はない。だれかやってくれそうな適任者はいないかな……)

そう考えていた時、松本さんの顔が浮かんだのだという。話を聞いた松本さんは「やるわ」と即答。これには誘った寺園さんも「もうちょっと考えろよ……」と、びっくりしていたという。しかし、松本さんに迷いはなかった。

まさに“渡りに船”だと思いました。この時、ぼくはまだいなべ市に行ったこともなかった。でも、このタイミングでこういう話が来たということは、いなべに行けということだなと。自分一人ではなく、寺園もいて……という将来のビジョンが見えたのだと思います。不安もありませんでした。