侍の魂が今も息づく地、福島県会津若松市。そこに、日本初のコンピュータ専門大学として開設された公立大学、会津大学がある。
会津大学は、優秀な教員を求めて海外からも教授を招き入れ、「人類の為の知識の前進」を目指し設立され、初代学長・國井利泰氏の影響を受けた多くの学生が様々な分野で活躍している。
そんな会津大学の一期生として、会津大学発ベンチャーとして、”人類の為になる高度な知識と技術を社会に発信”している起業家がいる。
創業から7年で、東証一部上場の日本エンタープライズ株式会社の子会社化を実現した、スマートフォン向けアプリケーションソフトウェアの開発を主に行う「株式会社会津ラボ」の代表取締役 久田雅之さんだ。
持続可能な地域づくりを実現するために、全国で地域課題を解決する起業家育成とビジネス創出に取り組む、地域ビジネスプロデューサーの齋藤潤一さんと共に会津若松を訪れ、久田さんにお話を伺った。
会津大学が生み出した起業家
久田さんは、会津大学に入るより前、6歳の頃からハッキング・クラッキングに没頭し、趣味はアマチュア無線とパソコンという、根っからの技術者だ。
会津大学の初代学長・國井氏に感化され、「会津にシリコンバレーをつくる。地域において、農業・観光に次ぐ、第三の産業をつくる。そして、人類の為になる高度な知識と技術を世に送り出す。」というビジョンを掲げ、会社を設立された。
久田さんが、第三の産業を創出しようと考えた背景の1つに、地域で雇用創出を実現する大手誘致工場の存在がある。もし、誘致工場が経営上の理由で撤退した場合、地域に失業者が溢れることへ危機感を抱いているという。
入学3日目の恩師の言葉がマインドを変えた
久田さんが、そのような考えに至る上で、起業家マインドのスイッチを入れたのが、会津大学の初代学長である國井氏の言葉だったと語ってくれた。
−なぜ、そのような想いに至ったのですか?
自分の中で、國井先生の存在が非常に大きいです。
國井先生から入学した3日目に言われた「ドクターを取って、起業して、この地域の中核になりなさい。」という言葉を今でも覚えています。
久田さんは、この言葉を胸に、地域に新たな産業をつくるため起業を目指した。
学生卒、起業への不安
大学を卒業して起業も考えた久田さんだが、すぐに起業という道に不安を抱き、実現できなかったという。
−卒業後、すぐに起業はされなかったんですね?
正直、起業からは一回逃げました。その時は、学生卒でいきなり起業することは無理だと考えてしまったんです。
何から始めれば良いかも、よく分かっていなかったんだと思います。
その後、久田さんはベンチャー企業に就職するも、その提携先が海外大手企業に買収されて退職し、大学で研究者の道を歩み始めた。
このままでいいのかという想い
久田さんは、大学で着実に実績を積み、ついには終身雇用を約束されるまでになったが、自分の中にある”1つの疑問”を消せなかったと伝えてくれた。
−その時、どんな葛藤がありましたか?
「僕は、本当にこのままでいいのか?」という問いが頭から消えませんでした。自分は、どうも安定している状態がダメで(笑)
ある夜、突然、「辞める!」と思っちゃったんです。それを伝えたら、当然、親にも妻にも、凄い怒られました。
その後、久田さんは大学を去り、起業の道へと突き進むことになる。
根付いていた起業マインド
安定した生活を約束されていた久田さんが、リスクを取ってまで起業を決意した背景には何があるのだろうか。
−久田さんの中で、学生の時とは何が変わったんでしょうか?
学生の時は、起業の手段が分からなかったんです。それが、社会経験を通じて人の繋がりができ、お金を出してくれる人もいました。
ただ、1年半で大赤字を出して、親には自己破産しろと言われました。親が元銀行マンで、起業して散々たる結果を出した会社を多く見ていてからです。
創業当初、赤字に苦しむ起業家は多い。それでも、久田さんは諦めなかった。
−なぜ、そこで諦めなかったんですか?
強い反骨心がありました。やり続けている限り、自分が失敗したと止めない限り、失敗にはならないと考えています。
元々、研究者だったので、凄いアイデアがあれば、お金になるはずだと考えてもいましたね。今は少しずつ分かってきましたが、その時は商売がどういうものか分からずにやっていたと思います。
常にイノベーションを起こしたい
その後、利益を出し、7年で東証一部上場の子会社になるまで会社を成長させた久田さんだが、安定志向は無い。
−久田さんの行動を支えるのは、どんな想いですか?
常にイノベーションを起こしたいという想いが強いです。お金ではなく、人に対しての価値、社会に対しての価値を放物線状に高めていきたいと考えています。
会津のIT業界もこの数年で、20-30億ぐらいの規模に成長しましたが、自分はまだまだだと思っています。
久田さんは、明日・明後日が見えている以上、そこに見える未来はつまらない、予想のつかないことをしたいと伝えてくれた。
地方にある大きな課題
多くの地域が、現状を変えるために様々な取り組みを行っているが、実現できていないのが実情だ。
−久田さんの描く未来を実現するには、何が不足していますか?
人の問題が大きいです。自社で採用している社員も、主流は東京からのUターン者ですが、東京で働くIT業界の人材の多くが、家庭の事情を理由に、疲弊した状態で戻ってきます。
そうすると、地域の会社同士で、人の取り合いになってしまいます。どうやって、人を地域に集めるかが問題になりますが、人が集まるべき本質的な理由が必要だと考えています。
地方には、ベンチャーがたくさんあっても、まだまだ地域の中核となり得る成長を遂げている企業がないという。
受け皿となる中核企業が必要
人が集まる地域づくり、人が集まってくる本質的な理由を追求していく上で、久田さんは、地域を回すだけの力を持った会社の存在が重要だと語る。
−具体的にどのような会社が必要でしょうか?
上場するぐらい、社会に対して価値を提供できる企業が地域に必要だと考えています。この地域は会津大学を設立する際、約450億円も投資しています。自分たちは、それ以上の価値を提供できる存在にならなければいけません。
日本を代表するIT企業が会津から生まれ、例えば、サイバーエージェントのように社会に必要とされる新しいサービスを生み出し続けることができれば、そこにやりがいを感じる人財が集まってくると考えています。
久田さんは、それを1つのKPIとして考え、数年前から脱受託を目指し、自分たちのオリジナルのもの・サービスを作って、自分たちが作った価値を世の中に提供することを目指されている。
地方の課題をITで解決する未来
実際、久田さんは、今までにない電源コントロールを実現するエネルギー管理システムの開発を行い、スマートプラグを無償配布しながら自治体と共に実証試験を行っている。
ブロックチェーンの技術を活用しており、市民は節電をしながら地域通貨を貯めることができるという仕組みも導入していく予定だ。これにより、市民はエコで快適な生活できると同時に、地域は電力管理を行いやすくなる。
−地方だからこそできるチャレンジや強みはなんでしょうか?
東京にいると、身近にある重要な課題が見えなくなって、気付かないと思います。一方、地方では至る所で課題を見つけることができます。地域の課題は、地域にいるから分かると思います。
更に、会津若松市は大きすぎず、小さすぎない12万人ぐらいの都市で、地方における良いモデルケースになり得ます。行政や地域との距離も近いため、実証実験も大規模都市に比べて行いやすいです。
−会津でチャレンジをして、それを展開する形ですね?
そうです。会津で市民に喜ばれるものをつくって、使えるものはどんどん外にも広げていきたいですね。
地方だからこそできる本質的な課題の見える化、それを行政と連携しながら一緒に解決していく。
久田さんは、そのためにも「ずっとチャレンジし続けること」の重要性を伝えてくれた。
地方の人たちが視座を高め、自分たちの課題に本気で向き合うことで、地域に新たな産業が生まれる。会津若松市は、そんな地方の可能性を感じられる場所だ。