古くは西暦646年まで遡るとされる「関所」の歴史。特に厳しく取り締まられたのは? 誰でも通れた!? 関所の営業時間って? 江戸時代の関所についてまとめてみました。
江戸時代の関所の役割は「治安維持」
鎌倉時代以降には「関銭」と呼ばれるお金を支払って通り、その集めたお金が寺や神社の建設に使われるなど、経済的な施設の意味もあった関所。
江戸時代に入ると、江戸を守るため、治安維持のための警察的な機能へと移り変わり、全国に53箇所の関所が設けられています。
明治2年に廃止されるまで250年以上もの間、江戸を守る機能としてその役割を果たしました。
特に厳しく取り締まられた「入り鉄砲」と「出女」
すべての関所に共通するわけではありませんが、特に厳しく監視をされていたのが「入り鉄砲」と「出女」。
入り鉄砲はその名のごとく “江戸に入ってくる鉄砲” の意味で、大量の武器が無断で江戸へ持ち込まれないようにと監視が行われたそうです。
もうひとつの出女は、“江戸から出て行く女性たち” を表す言葉。この女性たちとは、江戸に住む諸大名の妻などを指し、彼女らが外に出ることを厳しく取締まっていたそうです。
逆に “江戸に入ってくる女性たち” は “入り女” と呼ばれ、出女と同じく関所にて検分が行われました。