豊臣秀吉の家臣のひとりとして知られ、安土桃山時代の武将である石田三成にゆかりのあるお寺が滋賀県米原市にあります。
その名は、観音寺。
国の重要文化財にも指定されているお寺です。
三成の出世のきっかけになった「三献の茶」
16世紀後半に時を遡ってみましょう。
石田三成は佐吉という名で観音寺に仕えていました。
秀吉との出会いとなった逸話が残されています。
当時、秀吉が鷹狩りの折、立ち寄った観音寺で出されたお茶の振る舞いに甚しく感銘し、秀吉は佐吉をすぐに家来にすることを決めたといいます。
このお話は、「三献の茶」(さんこんのちゃ)として広く知られているものです。
老朽化・資金難で存続の危機
歴史的にもファンが多く、観光客も訪れるこのお寺は、実は危機にひんしています。
建立から500年の時を経て、建造物のあちこちに痛みが見られるようになりました。
特に本堂に隣接する薬師堂は、屋根が大きく痛み、このままでは維持できない状態となっています。
お寺を支えていた檀家の数も、平成28年の時点で4軒となり、保持保全が年々厳しくなってきているのです。
みんなの力で修復したい
観音寺の危機に立ち上がったのが、有志の集まりである観音寺薬師堂修復委員会です。
国の重要文化財でもある、本堂、鐘楼、惣門、木造伝教大師坐像などは国からの支援も見込めますが、薬師堂は独自に修復を進める必要があるため、有志が中心となり、修復に向けた動きが始まっています。
修復委員会の代表を務める泉昌継さんにお話を伺いました。