鈴鹿サーキットで有名な三重県鈴鹿市に平成17年に開館した記念館。そこにはロシアに初めて渡った日本人・大黒屋光太夫の資料が展示されています。
江戸に出航するも…嵐で漂流した7ヶ月間
大黒屋光太夫は江戸時代、伊勢の国の船頭。
江戸に向けて米や木綿などを積み出航したところ4日目で嵐にあい遭難。一向は実に7ヶ月の間、海を漂流しました。
やっとのことで着いた島は日本からはるか離れたロシア領のアムチトカ。彼らはここで4年の月日を過ごしたと言われています。
総移動距離1万キロ! “帰国したい” の一心でロシアを横断
江戸から出航した当時、大黒屋光太夫は31歳。アムチトカで過ごした彼は35歳になっていました。
日本への帰国を切に願い、カムチャッカ半島へ移動し日本へ嘆願書を送るも鎖国下であった日本はこれを却下。
それを受け、光太夫はロシア西部のサンクトペテルブルクを目指し大陸を横断。1万kmを超える距離を4年をかけて移動しついにこれを達成しました。