死を求める飯沼貞吉を救った長州藩士
幕末の時代、その志の違いから対立し結果として後に遺恨を残した藩もありました。その代表格として語られるのが会津藩と長州藩。
生き残った飯沼貞吉を保護したのは長州藩士・楢崎頼三でした。ひとり生き残ったことを恥じ、悶々とする彼を哀れんだ楢崎頼三は長州へと連れ帰り生活の面倒をみます。
なおも死を求め自刃しようとした彼に楢崎頼三は「今からは日本人が心を一つにして、この国を強くて豊かな国にしなければいけない」と諭したという逸話が残されています。
この2人の立場を超えた絆を記念した石碑が山口県美祢市に建てられました。
参照元:読売新聞 2016年10月16日の記事
その後の飯沼貞吉
その後の飯沼貞吉は、様々な人との縁があり、電信修技校に学び、現在の総務省にあたる工部省に就職。その後も電信事業へ尽くし60歳で退官、77歳でその生涯を終えています。
彼が亡くなってから26年の後、戊辰戦争90年祭を機に彼の遺髪と義歯は白虎隊墳墓に合祀されています。記念日には「君と十九人の同志は泉下に手をとりあい満足の笑みを交わしていることであろう」と刻まれているそうです。
参照元:株式会社 日立システムズ 戦国武将に学ぶBizスタイル 番外編