徳川四天王のひとりである本多忠勝 (ほんだただかつ) には数多くの武人としてのエピソードが残されています。
そんな中、彼の娘である「小松姫」にも父の気質を受け継いだエピソードが伝わっています。
徳川家康の養女として真田信之に嫁いだ姫
小松姫は徳川四天王であり武人としての強さを誇る本多忠勝の長女として生まれました。
戦乱の世、徳川家康の養子として真田幸村の兄である真田信之のもとへ政略結婚として嫁ぎ、子を設けています。
90歳まで現役! 93歳の長い人生を生きた真田幸村の兄「真田信之」
小松姫の漢気あふれる!? エピソード
小松姫のエピソードとして最も有名なものが夫・真田信之の父である真田昌幸との間にあった話。
信之が城に不在のおり、真田昌幸が孫の顔を見ようと立ち寄った際、小松姫は鎧を身につけて現れ、「たとえ舅であっても今は敵味方の間柄であり、敵を城に通すことはできない」ときっぱりと断ったのだそうです。
この対応には昌幸も「さすが武人の妻」だと賞賛したのだそう。
夫の家族を大切に。真田家を支えた小松姫
関ヶ原の戦いにおいて徳川方に敗れ、死罪もありえるところであった真田昌幸と真田幸村が九度山への流罪ですんだのは小松姫の存在が大きかったと言われています。
小松姫は九度山で暮らす舅や義弟の為にお金や食料を送り彼らを支えていたとされています。
小松姫は「かぐや姫」? 千葉県に伝わる民話
千葉県大多喜町には、小松姫にまつわる民話が残っています。
利発でみんなからたいそう可愛がられていたという小松姫は剣術が好きでお城の庭からは「えい」「やー」の声が聞こえてくるほど。
ある日、城下に出かけた小松姫は大きな猪に襲われている人と遭遇。姫は腰にあった刀でひとり猪を撃退したそうです。
この時、猪を追い込んだ竹やぶごしに姫に日の光があたりきらきらと輝いて見えたことから城下の人々はこの一件の後、小松姫のことを「輝やく姫様」と呼ぶようになりました。
後にこの「輝く姫様」が語り継がれるうちに「かぐや姫」と呼ばれるようになり、大多喜町では小松姫のことを忘れないように竹の子をつかった炊き込みご飯をつくり、これを「かぐやご飯」と呼ぶようになったそうです。
参照元:千葉県ホームページ 大多喜町 こまつ姫とかぐやご飯