葛飾北斎 富嶽三十六景 江戸日本橋
1657年、江戸の街の大半が焼き尽くされ、10万人以上の命が奪われたとも言われる大災害・明暦の大火。
この大火によって江戸幕府の権利の象徴・江戸城天守も焼失されました。江戸城にまつわるいろいろなことをまとめてみました。
江戸城天守の歴史はわずか50年だった
江戸城の天守は1607年につくられてから明暦の大火で焼失するまでわずか50年しか存在せず、それから現在まで再建されることはありませんでした。
再建されなかった理由
当時の将軍は徳川家綱、その補佐をしていたのが保科正之でした。
天守の再建を認めなかったのはこの保科正之で、江戸城の再建に国の財産を費やすのではなく、江戸の街を火災に強い都市に作りかえることを最優先課題とし、城の再建を先延ばしにしたそうです。