新撰組は幕末・維新期の、局長近藤勇、副長土方歳三らによる佐幕浪士隊。
新選組とも書き、将軍身辺の警護から京都の治安維持にあたり、尊王攘夷派志士の弾圧に努め、壬生浪人として恐れられました。
今回はそんな新撰組のルールや入隊方法、お給料など、細かい実情についてご紹介いたします!
新撰組入隊の条件は “健康体”!?
新撰組には基本的に入隊資格や実技試験はなく、国に報いる心と健康な体があれば、だれでも基本的には入隊できたようです。
一応集団統率のために新撰組の規約が掲げられていますが、内容は「士道に背いてはいけない、勝手にお金稼ぎをしてはいけない」という抽象的なものなので、罪に問うか否かは局長である近藤勇や副長の土方歳三が判断していたようです。
新撰組の仕事って?
任務は京都で活動するもので、倒幕思想を持つ浪士を捕縛したり、担当する地域の警備や警察的な活動が主な仕事でした。
相手をカタナによって殺害することが認められているのが新撰組、という認識が強いですが、実際は犯人の殺害よりも捕縛が一番の目的だったようです(相手が抵抗したことによる正当防衛など、どうにもならない場合は殺害)。
敵よりも味方を多く斬っていたといわれる新撰組
捕縛業務が主な仕事であった中、新撰組は「不逞な輩を叩き斬った人数」より、「隊員を粛清した人数」の方が多いといわれています。
なぜなら、新撰組の規約である「士道」により、敵を目前に背中を向け、背後から斬られた、など武士にあらぬ行為をした者は即座に処刑されたからです。
他にも勝手な脱退によって元仲間から粛清されたことも多く、規則面がゆるかった半面、暗黙の絶対的なルールが存在していたようです。
訓練は厳しく任務失敗のペナルティも!
新撰組では平常時に剣術や馬術、槍術などの訓練が師範を設けて行われていましたが、その内容はかなり過激で厳しいものだったと伝えられています。
また任務に失敗したペナルティーも強く、こちらの人数が1人だろうが10人だろうが、捕縛や討伐を仕損じてしまえば、非常に厳しい罰則が待っていたようです。
近藤勇という絶対的存在
ある程度のルールや罰則があるものの、新撰組は基本的に局長の近藤勇が全てだったようです。
絶対的な立場を持っていたため、組の方針や仕事の決定権、隊員の割り振りなど、様々な権限がありました。
それがために、晩年の新撰組は分裂してしまうこととなったのですが、要人の警護や倒幕思想の弾圧など、幕末で活動していた彼らの存在は大きいものでした。
参照元:matome 新撰組の都市伝説