今回のまとめは神道無念流(しんどうむねんりゅう)。新撰組から長州、水戸の志士まで幅広い志士を魅了した流派です。
桂小五郎
(画像出典: Wikipedia桂小五郎)
維新の三傑のひとり、後の木戸孝允。桂は神道無念流・練兵館において初代塾頭をつとめました。練兵館は長州志士に好まれ、剣術と同時に学問にも重きをおいていたそうです。
桂と同じ道場には仏生寺弥助(ぶっきょうじやすけ)という人もいました。
道場で風呂焚きとして仕事をしていた百姓の彼は、仕事の合間に剣術の練習を見て技を覚えてしまったそう。この時弥助は16歳。試しに剣をもたせたところめっぽう強く、塾生となります。その1年後には免許皆伝を得るという、まさに天才剣士。(何十年も修練してやっと一人前というのが普通なのでこれはすごいことです!)
しかし彼は大の学問嫌い。文字なんぞ自分の名前が書ければ良い、というスタンスだった為、他の塾生から軽んじられ道場にもいずらくなってしまいます。
結果、塾頭や師範代になることもなく、後世に残ったのは最強剣士という彼の強さだけとなりました。時代の流れに逆行するように剣術のみに没頭した彼を3つ年下の桂はどう見ていたんでしょう、、、
芹沢鴨
浪士組(新撰組の前身)、新撰組の初代筆頭局長。もともとは水戸藩の浪士で水戸学を修め、神道無念流では免許皆伝を得ています。芹沢は浪士組に参加してからわずか7ヶ月後、あまりの横暴ぶりにより近藤ら一派から暗殺されます。たった7ヶ月の在籍で京に名を轟かせた彼はただものではなかった!はず、、、
永倉新八
(画像出典:幕末写真館)
新撰組二番隊隊長。沖田、齋藤に次いで強かったと言われる剣士で、近藤や土方とは試衛館(近藤勇の道場)時代からの仲間です。77歳まで生き、新撰組にまつわる記録・顛末記を残しています。
伊藤甲子太郎
(画像出典: Wikipedia伊藤甲子太郎)
新撰組で参謀をつとめ、容姿端麗、弁舌な人と伝わります。神道無念流は水戸遊学中に学び、後に北辰一刀流伊藤道場へ入門、そこで婿養子となります。
藤田東湖(ふじたとうこ)
(画像出典: Wikipedia藤田東湖)
水戸藩主、徳川斉昭に仕えた学者。父、藤田幽谷(ふじたゆうこく)とともに大日本史編纂事業にたずさわり、水戸学派のリーダー的存在として水戸藩を支え続けました。