幕末最強の剣士は誰だ、という議論は白熱しますよね!幕末には一体どんな剣の流派があって、誰がどの流派の剣をつかっていたのか。
今回は、、、あの人もいる!北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)についてまとめました。
坂本龍馬
(画像出典: Wikipedia)
千葉道場の長女・佐那(さな)さんとの恋話は有名ですね。江戸に出てくる前は故郷土佐で小栗流を学んでいます。龍馬の剣は強かったそうですが、彼は一生人を斬ることはありませんでした。
北辰一刀流は千葉周作が始めた新流派で、周作の道場「玄武館」は、後に江戸の三大道場と呼ばれる内の一つとなりました。上に挙げた人のうち、龍馬だけは千葉周作の弟・千葉定吉の道場で学んでいます。
清河八郎
(写真出典:Wikpedia)
新撰組の前身となる浪士組を創設した人ですね。剣では免許皆伝(奥義を全て伝授される)を得ています。
伊藤甲子太郎
(写真出典:幕末写真館)
新撰組で参謀をつとめた人ですが後にたもとを別ち離脱。容姿端麗、弁舌な人と伝わります。北辰一刀流伊藤道場に入門し、道場主に気に入られ婿養子となりました。伊藤道場入門前、水戸に遊学した際には神道無念流も学んでいます。
藤堂平助
新撰組八番隊組長、池田屋事件でも活躍した人です。新撰組結成当時からの同志ですが、伊藤甲太郎とともに隊を離脱しています。伊藤が近藤暗殺を企て逆に返り討ちにあった際には、近藤が「藤堂はできるならば助けておきたい」と言ったと伝わります。
山南敬助
新撰組の前身・浪士組では土方と並んで副長をつとめ、新撰組では近藤、土方に次ぐ総長となりますが、伊藤甲子太郎の入隊で幹部の立場を失ってしまいます。有名な切腹時のお話はこちら →「幕末志士の恋の話 〜新撰組編〜」小野派一刀流の免許皆伝を得た後、北辰一刀流の門人となりました。新撰組局長・近藤勇の道場試衛館(しえいかん)で他流試合をした時には近藤に負けたとか。これがきっかけで近藤の腕前や人柄に惚れ、活動を共にするようになったと言われます。