新撰組編に続いてその他の方々編。
新撰組と敵対する立場にある志士たちは、新撰組がよく利用する島原ではなく祇園や鴨川周辺の花街で政治活動を行うことが多くあったようです。
桂小五郎と幾松(いくまつ)
画像出典: Wikipedia
画像出典:幕末写真館
有名なカップリングですね。
幾松は新三本木の芸妓で、新撰組に連行されたり、桂が追われ乞食に身を変して隠れている間、握り飯を橋のたもとへ運んだなど、桂を支えた逸話が残っています。
2人は後に結婚、幾松は木戸松子と名前を変えています。こちらは明治に入ってからとられた写真。お美しい!
画像出典:幕末ガイド
高杉晋作と小里
画像出典:幕末写真館
「おもしろき こともなき世を おもしろく」で有名な高杉晋作は井筒屋の芸妓小里を馴染みとしていました。
彼は江戸にいた際にも、伊豆屋の小三という芸者を馴染みとしており、別れの際に送った袱紗(ふくさ)が今でも残っているそうです。
高杉は21歳の時に国元でマサという女性と結婚し、1子をもうけています。
井上薫、品川弥二郎と君尾
画像出典:幕末写真館
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長州藩士井上馨と吉田松陰を師とする松下村塾で学び高杉晋作と行動を共にした品川弥二郎は祇園島村屋の芸妓君尾と深い仲にありました。
井上馨と君尾の間にはこんな話が残っています。
ロンドンへの留学の際、今生の別れになるかもしれないと井上は君尾へ小柄を与え、君尾は代わりに鏡を送りました。
井上は日本へ帰国後も鏡をずっと大事に懐に入れており、襲われ胸に刀を受けた際、この鏡が命を救ったそうです。うーん、ドラマみたい!
君尾は薩摩藩の中村半次郎をかくまったり、品川弥二郎の京脱出の手助けをしたりと、多くの志士を助けたといいます。
新撰組局長近藤勇も君尾を気に入り口説いたそうですが叶わなかったとか…細身ですらっとした美人だったと言われています。
大久保利通とお勇
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大久保利通は28歳で満寿(ます)を妻にむかえ、満寿との間には6人の子をもうけています。馴染みであった祇園一力のお勇との間には後に3人の子をもうけました。
晩年まで利道は2人ともを愛し、凶刃に倒れる49歳の1年前には満寿との間に女の子が、彼の死後にはお勇との間に男の子が生まれています。
冷徹で険悪な人物像として描かれることもある大久保さんですが、子だくさんの平和な家庭を築いていたんですね。
他にも山県有朋と祇園の小美勇(おみゆ)、後藤象二郎と丸梅の小仲などのカップリングがありました。
坂本龍馬とともに倒れた中岡慎太郎は山猫とよばれる私娼のお欄と深い仲で政治活動の支えとしていたようです。
おまけ:密談に利用した旅籠・料亭・茶屋
各藩とも藩邸とは別に秘密裏の会合に利用する定宿をもっていました。
長州藩 祇園縄手の茶屋 魚品
薩摩藩 伏見の船宿寺田屋、東末吉町の丸住
肥後藩 鴨川東の小川亭
土佐藩 下京富永町の鶴屋、祇園の料亭 丹虎、清水坂の明保野(曙亭)
現存する建物が残る場所はありませんが、石碑が跡地にたっている場所もあるようです。
遊女や芸妓は志士たちと共に過ごすことで政治情勢にも明るくなり、気持ちとしては彼らと一緒に闘っていたのかもしれません。
幕末の志士を支えた女性たちですが、生い立ちやその後についてなど、資料が残っていないことが残念です!