少年時代の雷電為右衛門もやっぱり強い
勝川春亭による雷電の画
幼名を太郎吉という雷電為右衛門。
少年時代の彼にもその力自慢を表す逸話が伝わっています。ある日彼の母親が庭で風呂に入っていたとき、急な雷鳴と夕立がありました。その際、太郎吉は母を風呂桶ごとかかえて家の土間に運び込んだそうです。
殿様に “あっぱれ” と褒められた。雷電為右衛門のウィットに富む対応
太郎吉が細く険しい碓氷峠の山道を荷を積んだ馬とともに歩いていたとき、加賀百万石の殿様の行列に遭遇。
狭い道で避けることがかなわないその場所で、太郎吉はとっさに荷を積んだ馬の足を持って目よりも高く差し上げて行列を通したそうです。無事に通った行列の殿様からは「あっぱれ」と褒められたとか。
強すぎて禁じられた3つの技
雷電為右衛門には禁じられた手が3つありました。
それが「張り手」「かんぬき」「突っ張り」の3つ。これを使えば相手が必ず怪我をしてしまうということで封じられたそうです。
封じられた手がありながらも引退までに史上最高の勝率を記録した雷電為右衛門。横綱に昇進できなかった背景には、政治的な理由や、土俵で相手を投げ殺したことがあったから、などの俗説も囁かれているそうです。
出身地である長野県東御市には復元された生家や、彼の功績や縁の品を展示した「道の駅・電電くるみの里」などがあります。
出典:東御市 史跡 力士雷電生家, 道の駅・電電くるみの里 名力士 雷電為右衛門, 日本史有名人の身体測定/ 篠田達明