豊臣秀吉らが行った「刀狩り」消えた刀はどこへ。

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日本では過去に3度の大規模な “刀狩り” が行われ、多くの日本刀がその姿を消しました。刀狩りについてまとめてみました。

 “士農工商” への布石となった!? 豊臣秀吉が行った「刀狩り」

豊臣秀吉が発令した「刀狩令」は、百姓による刀や脇差、弓、槍、鉄砲などの武具を所持することを禁じたもの。

日本各地で古くから起こっていた農民による一揆を事前に防ぐ策としてもうけられたという見方もありますが、刀狩令の条文には、百姓は農業に専業するべしという意味合いのものも含まれており、武士と農民といった身分を固定させる為の政策であったとも言われています。

刀狩令から3年後となる1591年には「人払令」続いて「身分統制令」などが出され、刀狩令の発令以後、武士と農民の身分の分離が進められていきます。

没収された刀の使い道

秀吉による刀狩令は、徹底はされなかったものの、没収された刀の一部は京都・方広寺の大仏建立にあてられたようです。参照元:豊臣秀吉と戦国時代 秀吉の天下統一マスタープラン

不満勃発で反乱の火種にも…明治政府の「廃刀令」

秀吉の刀狩が行われてから約280年の後、時代は明治へと移り変わり身分制度の撤廃が行われます。そのうちの政策のひとつとなったのが「廃刀令」。

明治政府は1871年、刀を差さなくても良いという令を発令。しかし効果が薄かったことから、その5年後には軍人や警官などをのぞき、刀を差すことを禁ずる禁止令が発令されました。

激動の幕末を生き抜いてきた武士たちにとって、 “武士の魂” と表される刀が日常から消えることは耐え難く、この廃刀令は熊本での「神風連の乱」、福岡での「秋月の乱」など、各地の士族反乱にもつながりました。

多くの価値ある武具が海外へ流出!?

廃刀令が発令された時期、美術的価値の高い多くの刀、そして甲冑や装具などが海外へ流出したと言われています。
参照元:weblio 廃刀令

日本に返ってきた5500本の刀。終戦直後GHQによる武器の引き渡し令

刀を帯刀することが禁止されてからも日本刀自体が無くなることはなく、代々家に伝わるものとして一般の家庭にも刀は存在していました。

しかし終戦の直後、連合国軍 (GHQ) による一切の武器引き渡しの命令が出され、この時膨大な量の武器が取り上げられたとされています。これらの多くは海外に流出、または廃棄されてしまいました。

軍施設に積み上げられていた「赤羽刀」

戦争終結から2年後、引き渡されていた刀の一部が日本へと返還されます。これらは戦後、赤羽 (現在の東京都北区) にあったアメリカ軍の施設に保管されていたことから「赤羽刀」と呼ばれています。

返還された約5500本の刀は、上野の国立博物館(現東京国立博物館)へ保管され、所有者のわかったものは本人へ、それ以外の所有者が分からなかった約4500本は国へと返されました。

戦後から50年の後、引き渡された刀剣などの処理に関する法律が制定されたことを機に、赤羽刀3209本が全国各地の公立博物館へ譲られ、公開されています。
参照元:墨田区 展示情報 2007年2月20日, 福岡市博物館アーカイブ 赤羽刀展

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