翡翠色の清流が美しい、奈良県東吉野村。東京で暮らしていた写真家の西岡潔さんがここに移住したのは、2016年8月のことだ。今では、奈良をはじめとする関西での仕事も増え、全国各地へも撮影へ赴く生活を送っている。
都会で活躍していたカメラマンが地方に拠点を移してビジネスを展開するというのは、一見、難しそうなことに思われる。西岡さんはどのようにして、今の生活基盤を築いたのだろうか。
10年前から、地方への移住を考えていたという西岡さん。その背景には、自然への興味と、自らの内面から生まれる表現と向き合ってきた歴史がある。
デザインと向き合う旅がつないだ、写真家という生き方
学生時代の西岡さんは、大阪の専門学校で洋服のデザインを学んでいた。「かっこいい洋服をデザインしたい」という思いを抱いていたが、夏休みに行ったヨーロッパ旅行で「ショックを受けた」と言う。洋服はその地域に根差したデザインであり、日本で生まれ育った自分のデザインは、「内面から出てきたものではない」と感じたのだ。
それ以来、デザインが根差している文化や生活、自然を体験することにより、表現に生かしたいと考えるようになった。卒業後は2年間、オーストラリアやアジアの各国を旅して回り、アボリジニーの文化や、アジアの少数民族の村の生活に触れた。
自然への憧れもありましたし、自分の中ににじむような、根っこにあるものを知りたかったんです。そして旅の間、記録として写真を撮りためました。
帰国後は就職活動を試みたが、自分の思うデザインと商業的なデザインは相容れなかった。そんな折、撮りためた写真で写真展をしないかと声がかかった。
写真家としての道
表現することに特化した仕事をしたいと思っていた西岡さん。写真の勉強をしたことはなかったが、「自分の素直な表現ができ、見る人も素直な感想を言える」という点を魅力に感じ、写真家の道を歩み始めた。大阪でスポーツ写真やブライダル写真などの撮影で経験を積む中で、ギャラリーや出版社とのつながりもでき、雑誌にも仕事の幅を広げていった。
しかし時が経つにつれ、インターネットの普及とともに担当していた雑誌が休刊に追い込まれた。写真家としてのレベルアップを目指したいという思いがあったが、関西ではそれができないかもしれないという怖さが芽生えた。そんな時、知り合いから東京の事務所を使わないかという話が飛び込んできたのだ。案件の全く無い状態だったが、いいきっかけだと思い、東京へ拠点を移す決心をした。
逆境からのスタート
東京での新たな生活は、逆境から始まった。引っ越しの1か月後に東日本大震災が起こり、仕事も営業もできない状態が続いた。そんな中、今まで撮影した写真をまとめた作品が、公募展で奨励賞を受賞した。空間と空間の間、という意味が込められた『マトマニ』というタイトルだ。
ゴールよりも、その途中で何に出会えるかが大事だと思うんです。そこで出会える、空間と空間をつなぐような場所がある。それを見た人が、記憶やイメージを刺激されるような、そういうものを撮りたいなと。
受賞が必ずしも仕事に直結する世界ではないが、地道に信頼を積み重ねていった。人とのつながりや、ウェブサイトの写真を見て問い合わせがあるなど、まさに、ゴールではなく途中で出会うものが仕事につながっていった。東吉野村に出会ったのも、そうした道の途中だった。
東吉野村との出会い
大阪に住んでいたころから、奈良県南部・東部には訪れたことがあった。東京に拠点を移してからも、毎月のように仕事で赴き、奈良県庁の職員である福野さんに案内してもらった。撮影をする中で現地の方の知り合いも増えていった。大阪や東京で仕事をしながらも、「自然の豊かな地域に暮らしたい」という思いがあった西岡さん。移住先を探していた中で、奈良も候補の一つになった。
しかし、地方への移住には様々な課題がある。移住をするには、当然のことながら、住居費などコストがかかる。また、写真家が仕事を請けるデザイン会社などは、東京や大阪など都会にあるのが普通だ。移住をすぐに決断することはできなかった。
繋がりと信頼を感じ、移住へ
西岡さんは、移住を考えるにあたり、その土地の人々の関わり合いや習慣を知らなければならないと感じていた。これまでやってきた写真の仕事も、人とのつながりや信頼関係から紹介してもらうものが多かった。生活も仕事も、人との関係性を築けないことにはうまく立ち行かない。だが、東吉野村に通う中でそうした課題は解決されていった。
2016年4月に東吉野村を訪れた際、移住ツアーに連れて行ってもらった西岡さん。奈良県と村が協力し、移住を推進しようと動き出した時期だった。春の美しい自然の中、これから生命が動き出すような、良い時期を体験したという。
ともに作っていくコミュニティー
当時、家の改装費の補助金制度をはじめ、移住しやすい環境が整い始めていた。また、移住の先輩であり、デザイナーの坂本大祐さんが発案したシェアオフィス「OFFICE CAMP」など、クリエイターが集まりやすい土壌も魅力だった。
同世代の人がいて、役場の方と村の方の関係も協力的で、これからコミュニティーを作っていこうとしていた時期でした。移住先として、ぴったり合う感じがしたんです。それに、空気や水がとてもきれいで、ここが良い、と思ってしまいましたね。
完成したコミュニティーの中に入るのではなく、一緒に作っていけることが魅力の一つだった。
多拠点生活から、完全移住へ
移住を決意してからは、東京の住居も残しつつ2拠点での生活を始めた。最初は半々くらいで考えていたが、家の改装を自ら手掛けるうちに、気づくとほとんど東吉野にいる生活を送っていた。もともと全国を回る仕事が多かったこともあり、「東京に住まなくてもできる」と感じるようになったと言う。
東吉野は大阪に出るのに2時間かかるが、東京に住んでいた時も、渋滞にはまると仕事場まで2時間。交通の便に関しては苦ではなかった。完全に奈良に移住し、奈良をはじめとする関西の仕事も増え、東京からの仕事も、関西での仕事を振ってもらえるようになった。自分のように地方に住む写真家の在り方も、一つの可能性と見ている。
例えば奈良の会社がPRのための写真が必要になったとして、東京からカメラマンを呼んだら経費がかかる。奈良にちゃんと写真を撮れる人がいたら、経費も浮くし、地域をよく知る人だからこそ、より良い写真がとれる可能性があると思います。
「仕事」ではない、「人」どうしの交流
また、OFFICE CAMPを通しての人との出合いが、仕事につながることもある。都会では多くの人との出会いがあるが、「仕事」を念頭に接することが多い。しかし、ここではただのんびりと語り合い、お互いの人間性に触れる交流が生まれる。そうして知り合った人たちと仕事をすることが、意外に多いそうだ。
じっくりと向き合うものづくりを目指して
西岡さんが次に叶えたいと思っていることは、アトリエとスタジオを作ることだ。スタジオでの撮影は、経費も時間もないので、速く撮りきらなくてはならないのが通常。その常識を破り、一泊するくらい時間をかけて、ものづくりをしたいと考えている。
活躍の場所を移しながらも、人とのつながりと自らの表現を見つめてきた西岡さん。移住を考えている人へのアドバイスを求めると、「まずは今いる環境で、しっかりと歩んでいただければ」という答えが返ってきた。ゴールではなく、その途中の道で出会うものを大切にする西岡さんならではの答えだろう。これから先、どんな出会いを写真に切り取っていくのだろうか。旅はまだ、始まったばかりだ。
[取材:大垣知哉 文:伊藤梢]