伝統的町家と町並みが、まとまって残る奈良市旧市街地のいわゆる元興寺界隈の奈良町において、30年以上前から歴史的町並みの保全・再生と活性化を求めて地道な活動を積み上げられてこられた奈良まちづくりセンターの室理事長のご案内でならまちのまちづくりを視察させていただきました。
「ならまち」とは1300年という長い歴史を持つ町です。
ならまちは710年、藤原京から遷都して以来、今年で1300年という長い歴史を持つ町です。
平城京に都が遷された時、当時飛鳥にあった法興寺(飛鳥寺)が元興寺として平城京に移され、この元興寺の旧境内を中心に栄えた町です。都が長岡京に移った後も東大寺や興福寺などが残ったために、宗教都市として栄え、「南都」と呼ばれるようになります。
その後は寺の保護のもと商業や手工業が発達し、商工都市として町民が大きな政治経済力をつけていった他、現在では社寺への参詣客などでにぎわう観光都市と、時代と共に都市の位置づけも変遷してきました。
現在残されている社家や町家は江戸時代後期から明治時代に建てられたものがほとんどです。
「ならまち」は、町を楽しめる仕掛けもいろいろと工夫されている
町内に残された多くは商売のためであり、住まいの場だった町家です。
こうした建物の個性を残しながら、レストラン、カフェ、おみやげ店、無料休憩スペースなどが多く並ぶようになり、空家と化していた建物が職住両方を目的でなく、商売目的として利用する人が増えてきました。
また年に数回、なら燈花会、バサラ祭り、わらべうたフェスティバル、なら国際映画祭など、ならまちエリアを舞台にしたイベントやお祭りなどを開催することにより、観光客のみならず、そこに住む人々自身が町を楽しめる仕掛けもいろいろと工夫されているようです。
「住んでよし、訪れてよし」の町であり続ける方法
今回ならまちに1日お邪魔し、そこにあるお店、カフェ、また資料館などを散策させてもらって、ならまちが今後もにぎわい続け、「住んでよし、訪れてよし」の町であり続けるには以下のような努力が必要なのではないかと思います。
1)「半日常の観光」の場としてのまちづくりをすること。
社寺仏閣などへの参詣は多くの人にとって非日常的な行いであり、カメラを携え、「観光に行く」という構えを持っていることが多いでしょう。
ならまちは幸運にもこうした非日常を提供している世界遺産、公園などと隣接しています。
なのでならまちは、「ちょっと、ご飯を食べに。ちょっと、プレゼントを買いに。」など、日常だけれど、いつもの日常に彩りが欲しい人たちに訪れてもらえるような、店や食べ物のコンテンツ選びをすること。値段を観光客価格にするのではなく、そこに住む人たちも日常の生活の中で利用できるような価格設定にすること。
2)まちの中から、店舗のオーナーなどを創出する仕組みをつくること。
町家がそもそもそうであったように、「住まないで商売をする建物」としての町家から、「職住近接」の町家として利用されるよう、行政が創業等のサポートを行う。
3)情報交換の場づくりをすること
商業的な利用を考えている店舗のオーナーとならまち全体のまちづくり、景観
づくり等のコンセプトを理解している奈良まちづくりセンターのような団体が常
日頃から意見交換、情報交換ができる場をつくり、まちの一体感を保ち続けること
今年は遷都1300年という大事な節目の年でもあり、奈良はいつもにも増してにぎわいをみせています。
これは、一時的な盛り上がりではなく、今のタイミングを利用して、奈良のファンになっていただく、何度も来たいと思える場所にする、という非常にいいタイミングを迎えているとおもいます。
まちあるきをするのにちょうどいい大きさの町、そしてほどよく見どころが並んでいる町です。ならまちを愛し続けてくれるファンを作っていくことがならまちが控え目ながらにぎわい続けるポイントになるのではないでしょうか。
文:久保田利恵子
国連等が開催するワークショップ、日本ブランドの再発掘、地域活性化を提唱する藤巻幸夫氏の私塾など、様々な「学びの場」に参加し、また人材育成に携わってきたことから、「人が成長する場を作り続ける」ことをライフワークとし、勉強会の主催、まちづくり、広報コンテンツの作成などを続けている。