「脱サラ農業」と聞いて、どんなイメージ持つだろうか。自給自足、スローライフなど、都会的な発想とは真逆の、規模や効率を追求しない農業をイメージする人は多いと思う。
熊本県菊池市に、JAに頼らず出荷先のほぼ100%が業者の「なないろ農園」という農園がある。肥料や農薬を使っていないのが特徴だ。自然栽培と効率や生産性を両立する。なぜそんなことが可能なのか。代表の亀川さんにお話をうかがった。
地方移住×新規就農
亀川直之さん(45)は2012年に東京都から熊本県菊池市に移住し、2014年に「なないろ農園」を開業した。亀川さん自身も妻もIターンだ。
国内大手電機メーカーで半導体メモリの開発に携わっていた元エンジニアの経営スタイルは、ほかの脱サラ農家とは少し毛色が違うかもしれない。なないろ農園は亀川さん一人で経営している。妻は働きに出ており、家単位で運営する「農家」ではない。また、農薬や肥料を使わず、土づくりにこだわった農業をする一方で「効率」も重視している。
従来の農業のあり方への疑問
亀川さんが農業に興味を持ったのは一冊の本との出会いがきっかけだった。自然栽培を実践する株式会社ナチュラル・ハーモニーの代表、河名秀郎氏の『自然の野菜は腐らない』という本を読んで、その栽培方法に衝撃を受けたという。これまで当たり前だった農業のあり方に疑問を呈する内容だったからだ。
従来の農法では肥料や農薬を使うのが一般的だ。しかし、その本には土がしっかりできていれば余分な肥料は必要ないと書かれていた。理由は、肥料をやって栄養過多になるとかえって虫が発生しやすくなるからだ。虫が発生すれば農薬も必要になる。農薬や肥料を使わない自然栽培は「信念」や「イメージ」ではなく、科学的な根拠があるということが分かったという。
しかし、この時点では、いつか自分もこういう農業をやってみたいと思ったにすぎない。当時はエンジニアとしての仕事がおもしろく、農業をはじめる理由がなかったからだ。
移住のきっかけは妻の一言
転機は突然訪れた。2011年3月11日に起こった東日本大震災だ。福島原発による放射能汚染の問題などを心配した妻の「あなた、農業やってみたいって言ってなかった?」という一言だった。
当時の亀川さんは「仕事は辞めたくない。」が本音だった。しかし、半年ほど考えた後、妻や娘の希望をくんで熊本県菊池市に移住することにした。熊本を選んだのは農業県だから。熊本は九州の物流の拠点であり、物資の輸送にも適した土地である。菊池にしたのは水質の良さと温泉に魅かれたからだという。
移住してしばらくはアルバイトをしながら、少量多品目で自分のやりたい農業をやってみた。入念な準備はしてこなかったが、やるならこのスタイルというものを決めていたからだ。しかし、自分の作りたい作物が土地に合っているかどうかは別の話だ。自分のやりたい農業のスタイルが経営として成り立つかどうかも分からない。最初の2年間は試行錯誤だったという。
農業で重要な適地適作
菊池の有名な農産品は米とごぼうだ。ところが、亀川さんは米もごぼうも栽培していない。JAにも加入していない。代わりにたどり着いたのは「適地適作」という考え方だ。
菊池は畜産にも力を入れていて、畜産動物の排泄物やえさのワラが大量に廃棄されている。ワラは畑で燃やされることも多く、常々もったいないと思っていた。これをなんとかできないか。
そして、ワラを土にすき込んで発酵させれば、肥料のいらない土づくりができるのではと考えた。適地適作という考え方は、作物のおいしさにもつながる。土地に適したものであれば余分な肥料を与えなくても十分作物はおいしくなる。農薬も肥料も使わなければその分コストも抑えられる。一石二鳥である。
取材当時、インゲン用のハウスでは、まさにこれから土づくりをしようと準備をしているところだった。土づくりは微生物の活動しやすい夏場からはじめて冬に種をまく。亀川さんの農業スタイルは一人でできる規模で最大限の効率を追求すること。一時的に手伝いを依頼することはあっても、基本的には7反の農地の土づくりと栽培は一人でおこなっている。
利益率を高めて生まれた余剰は効率をよくするための投資に回している。多くの作物をハウス栽培するのはその一環。個人売りしないのも効率を高めるためだ。なないろ農園では春と秋はインゲン、夏はオクラ、冬は葉物野菜を中心に栽培している。経営状態も良好だという。
エンジニアも農業も本質は同じ
農業は資格が必要ない分、土地さえあれば誰でもできると思っている人は多いかもしれない。しかし、一般的に一次産業である農業は儲からないといわれている。就農しても1年後に生き残るのは4割、10年では9割以上が廃業に追い込まれているというデータもある。
農業も企業の倒産率と同じだ。たしかにIターンでの就農は一から始めることになるため、簡単ではないだろう。その一方で、自分の思考を的確に言語化できる人は成功の可能性も大きいといえる。やり方次第では、都会での就業経験を生かすことも十分にできる。
ものづくりという面では、エンジニアの仕事も農業も本質的には同じ。試行錯誤を繰り返して歩留まりのよいものを作る。自分はスローライフがしたくて移住したわけではないので、効率やお金も大事だ。お金を手に入れるためには、人から必要とされるものを作ることが大切だ。
最初から自分の好きなことだけやっていても、それは単なる自己満足にすぎない。お客さんに喜んでもらえる商品をつくる。頑張ったことが評価されてお金をもらえる。そういう体験はサラリーマンにはなかなかできない。経営はおもしろい。
畑を「なないろ」にするのが将来の夢
亀川さんの農作物は地元で人気のピザ屋「イルフォルノドーロ」でも使われている。このピザ屋にはなないろ農園の名を冠したメニューもある。
なないろ農園の名は、カラフルな作物で畑をいっぱいにしたいという思いから名付けた。将来は多品種化してイルフォノドーロのようなレストランを増やしたい。好きなことの比重を高めていきたい。好きなことしかしていないのに結果として他人の役に立つ生き方をするのが理想です。