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奇跡のリンゴ×能登の里山が生み出した自然栽培−石川県羽咋市

奇跡のリンゴ×能登の里山が生み出した自然栽培−石川県羽咋市

    CATEGORY: AREA:石川県

移住先で就農したいと考えている人も多いだろう。さらにせっかく移住して農業を始めるのであれば、そこに何か付加価値や大義を求めたくなる。でもそれは理想であって、現実は難しい。しかし、それを現実にできるかもしれない、そんな移住先が石川県羽咋市(はくいし)だ。

羽咋市は能登半島の付け根にあり、この市をもっとも有名にしているのは車でビーチを走ることができる「千里浜なぎさドライブウェイ」だろう。

自然栽培、これからの環境にやさしい農業

羽咋市は、日本で最初に世界農業遺産に認定された「能登の里山里海」地域に位置し、環境保全型農業の推進に取り組んでいる。

その中で、農薬や化学肥料を使用しない農作物の栽培方法である「自然栽培」をJAはくいともに市が支援している。平成22年には「奇跡のリンゴ(※)」で知られる木村秋則さんを迎えて、市内でシンポジウムを開催し、大反響であった。そして、その年の12月から、木村秋則さんを塾長に迎えた自然栽培実践塾が開催されることになった。

(※)不可能といわれた無農薬リンゴの栽培を成功させた青森のリンゴ農家・木村秋則さんの実話を映画化したもの

農薬や化学肥料を使わない米や野菜作りをJAと市がバックアップ

そもそも、農薬や化学肥料を農家に販売するJAが、それらを一切使わない自然栽培を指導する塾を主催しているのは異例なこと。すんなりとこの話が進んだわけではないが、木村秋則さんの話に胸を打たれ、これから先の農業のことを考えて英断が下されたという。

木村さんの実践塾は3年間続き、その後は実践塾OBの農家やJAの職員が「お米コース」「野菜コース」を指導する「のと里山農業塾」へ移行し、今年で5年目。今までの塾生は500人を超える。

「はくい式自然栽培」で羽咋に新しい風を吹き込む

このように自然栽培は人気があり、それをやりたいと思っている人が多いことを知り、平成27年、羽咋市の総合戦略の施策の一丁目一番地に「自然栽培を核とした農業の成長産業化」を据え、市を挙げて、自然栽培で就農を目指す移住者を呼び込むようになる。

一定の条件をクリアした自然栽培の新規就農者にはさまざまな支援が行われるようになり、羽咋市に移住して自然栽培に取り組む人が増えた。現在、市内には39名の自然栽培就農者がいるが、その大半が移住者だ。

あえて「はくい式自然栽培」と言っているワケ

農薬や化学肥料を一切使わずに作物を育てる自然栽培。栽培方法に厳密なルールを課すところもあるが、羽咋市の自然栽培は、例えば植物性の肥料は使ってもいいなど、少々ゆるい。それには、「自然と人が共生できる、次世代につなげる農法として広めたい」という羽咋市やJAはくいの強い思いがあり、現実的に実践しやすいものになっている。そのため、あえて「はくい式自然栽培」と名乗る。

持続可能な農業を次の世代へ

自然栽培という、持続可能な農業を次の世代へ残す。このことは羽咋市も認定に含まれる「世界農業遺産」の理念にもつながっている。

今あるものを守って、そして壊してしまったものは少しでも修復して、次の世代へと引き継いでいくべきではないでしょうか。自然栽培をやりたい人たちに来ていただいて、安心安全な食物を作っていただき、それを皆さんに提供する――。そんな好循環ができればいいと思います。

羽咋市への移住・定住を促進する羽咋市がんばる羽咋創生推進室の中島室長補佐はこう言う。

自然栽培は発展途上の農法

「のと里山農業塾」では一年間、約20回で自然栽培について教えている。これに東京から通って平成28年12月に卒業し、翌年に羽咋に移住して、自然栽培農家となった水野早乙美(みずの・さとみ)さんに、自然栽培の難しさを聞いてみる。

自然栽培は慣行栽培に比べると、収穫量は良くて6割、半分以下となることも多いです。しかも正解というものがなく、7年やっている先輩農家さんでさえ、今も手探りを繰り返している、そんな発展途上の農法なのです。

農業塾では栽培方法を学ぶというよりは、自然栽培の信念を養ってもらうんです。信念がないとテクニックを重視してしまい、テクニックを過信すると必ず失敗します。自然と対峙して自分で考える能力がないと自然栽培はできません。反対に思慮深く作物や自然と向き合っていける人だったら、自然栽培はそんなに難しくないと思います。

自然栽培農家になるための3つのステップ

国や市からの支援は5年で終了する。つまり5年以内に自立できるようにならないといけない。農業塾で一年学んだからすぐにできるようになるものではないし、慣行栽培対しての収穫量の減少をどう補うかも課題だ。

羽咋の移住・就農支援はとても魅力的だが、それでも決してたやすい道ではなく、並々ならぬ覚悟と家族の理解が必要であることは間違いない。羽咋市の場合、次の3つのステップを移住希望者に踏んでもらい、その覚悟を決めてもらう。

移住のお試しで現実を知る

第1ステップは、「お試し移住」だ。羽咋市には最大5日間まで、なんと無料で滞在できる「移住体験住宅」がある。

1日500円で受講できる農業体験プログラムが用意され、滞在中に自然栽培の農業体験ができる。先輩農家の生の声が聞け、実際の作業もできるから、自分にできそうかどうか、暮らしていけるかどうか、ある程度はわかるだろう。

のと里山農業塾に入塾する

お試し移住で自信がついたら、のと里山農業塾へ入塾する。

毎年12月に開講で、募集は3月ごろから始まるが定員に達すると締め切られるので注意が必要だ。移住後に支援を受けるためにはもちろんだが、はじめは自然栽培のやり方もわからないだろうし、同じ志の人がいればわからないことを聞くこともできるので、このステップは重要である。

移住の決心が固まれば、移住先を探す

農業塾を修了し、移住して就農する決心がついたら、具体的な移住計画を練る段階だ。羽咋市では経済的な支援に限らず、住まいや農地などを探すことも手伝ってくれる。

羽咋市が発行する「移住定住ガイドブック」には、次のことが書かれている。

時には、困難な場面に遭遇するときもあるかもしれません。そんなあなたを羽咋市は真剣にそして全力でパックアップします。

この言葉に心の底から救われる時も来るかもしれない。それにしても羽咋市の本気度は半端ない。

人生をかけて来る人を本気でケアする

左から羽咋市がんばる羽咋創生推進室の中島さん、潟辺さん、自然栽培農家の水野さん、石本さん

移住者に定着してもらうために、移住後のケアやバックアップも抜かりない。自然栽培農家、地域おこし協力隊、起業のいずれかで移住してきた人は、市と町会、移住者の三者で協定を結んでもらっている。

移住者は羽咋市の取り組んでいる事業をしていただく方なので町会としてしっかり受け入れしてあげてくださいと町会長にはお願いし、移住者には田舎のルールを守って迷惑をかけないようにと約束していただくものです。この協定があるから移住者と地域のトラブルは減らせていると思います。
《羽咋市がんばる羽咋創生推進室 潟辺さん》

2017年には、はくい式自然栽培で作られた農作物を積極的に販売し、周知活動の拠点的な役割も果たす道の駅の直売所が千里浜なぎさドライブウェイの近くに誕生した。

もっと宣伝したいがそれができない理由

それにしても、羽咋市のこのシステムは意外と知られていない気がする。

東京のふるさと回帰センターに移住相談にいらっしゃる方たちには「自然栽培をするなら羽咋市」というイメージがようやく定着しつつあると聞きます。しかし、これはまだごく一部のことです。
《羽咋市がんばる羽咋創生推進室 石本さん》

自然栽培に適した田んぼや畑、移住者の住まいとなる賃貸の物件があるかどうかなど、受け入れる態勢を揃えるのがなかなか難しいため、大手を振って「来てきて!」とは言えない事情がある。

もっと宣伝して、多くの方に来ていただきたいという思いはたくさんあります。でも、人生かけていらっしゃる方を招く以上、いい加減なことはできません。たくさん来てほしいけど、それができないジレンマがあります。
《中島さん》

羽咋市は自然栽培の聖地として徐々に知られるようになってきた。歴史は浅いが、自然栽培を志して羽咋市に移住した人で、断念してしまった人は、たった1人しかいないと聞く。裏を返せば、それだけ受け入れ態勢がしっかりしているとからだろう。

その分、受け入れられる人数はわずかとなっていて、この状況はしばらく変わらないと思われる。まずは、お試し移住を体験してみよう。