多拠点移動生活には、三つの言語がある。
多拠点で暮らすということは、ひとつのコミュニティに没入してしまわない選択をするということだ。完全な都会人ではなく、かといって地方の伝統的な共同体に没入するのでもない。移動しながら、それぞれのコミュニティに半身を入れて暮らしていく。
そういう生き方では、都会の言語と地方の言語の双方が話せる必要がある。「それどちらも日本語ではないの?」と思う人もいるかもしれないが、都会と地方では同じ日本語であっても、コミュニケーションのスタイルや相手との距離の取り方などがかなり異なっている。そのあたりの認識なしに、都会から移住した人が地方の人とコミュニケーションを取ろうとすると「冷たい」「ドライすぎる」と思われたりするし、逆に地方の言語でいきなり都会人に話しかけると「なんだかいきなり迫られてきて怖い」とびっくりされる。
農業や漁業などの一次産業が中心の地域で暮らしていると、人と人の間合いはかなり親密だ。たいていの家は玄関が引き戸で、昼間の在宅中はカギなんかかけてない。下手をすると呼び鈴さえなかったりするので、訪問した人はいきなり引き戸をガラリと開けて「いる〜?」と大声をかけるのが普通。
さらに地方の共同体では、貨幣経済だけでなく互酬経済がきちんと残っている。モノをあげたり、いろんな無償奉仕してあげたりすると、そこにはそこはかとない貸し借りが生まれる。この貸し借りの帳尻を合わせすぎず、貸し借り=負債を消えて無くさないことが、関係の持続につながる。そのようにして地方の共同体が維持されている。
ここが理解できない都会人は、相手からの「借り」に対して貨幣で返そうとしたり、すぐに別の奉仕で返して帳尻を合わせようとしてしまい、「なんかドライやなあ」と思われてしまうのだ。逆に都会人からみると、このような地方の関係性は時に息苦しく感じることもある。その両方の言語を知って、相手を見ながらバランスを取ることが大切。
さて、最初に「三つの言語」と書いた。じゃあ三つ目の言語は何かといえば、役場の言語だ。市町村など自治体とのコミュニケーション。公務員でもなく、普通の会社員などをやっていて特に政府や自治体との取引もしたことがなかった人には、役場とのやりとりはけっこう難しい。
先日、こういうことがあった。ある自治体で町長に依頼され、その町の課長が全員出席している会議で空き家対策についてプレゼンをした。話し終えて質疑応答の時間になり、でも誰も手をあげない。町長がしびれを切らして二、三人の課長を名指しし、質問するように促した。三人ぐらいが質問して私が答えると、なぜかそこからは雪崩のように課長さんたちが挙手して、結局は課長全員の質問に答えることになった。
会議が終わってから、仲立ちしてくれたNPOの友人に「あれはなんなの?」と聞いてみた。彼が言うには「誰も質問していないところで質問するということは、空気に反するので誰もできない。でも何人かが発言して、それでも発言しない者がいると、その者は空気に反してると思われる。だから全員が質問することになるんだよ。」
地方の町村役場の行政マンというのは、だいたいこういう雰囲気の中で仕事をしている。これを改めようと思っても、一朝一夕に変わるわけではない。だから外から来た他拠点移動生活者は、行政マンはどのような人たちで、どのような行動原理の下にあり、そして公務員としてどういう制限をかけられているのかをちゃんと認識してあげないといけない。そうしないとイライラが募るばかりだし、行政から良い仕事も引っ張り出せなくなってしまう。
このように多拠点移動生活には、三つの言語が必要なのだ。