クールなスマイルとは裏腹に、我が子のように大切に小さなモアイ像を抱えているこの男性。
彼は、生粋の“モアイ好き”がこうじて、鳥取の地で砂とモアイにひたすらに向き合い続けた結果、自ら会社を立ち上げ、モアイで全国展開までを狙う、モアイに生きる男、池原正樹さんです。
ところで、彼が抱えている小さなモアイ、何からできているかわかりますか?
鳥取砂丘の砂でモアイをつくる
このモアイ、実は、鳥取砂丘の砂から作られているモアイなんです。
粉体を固める特殊な技術「モルタルマジック」によって作られているもの。池原さんが代表を務めるモルタルマジック株式会社では、現在、鳥取だけでなく、全国14か所でそれぞれの土地に由来した材料で事業を拡げています。
粉体ならどんなものでも固めることが可能で、現在は沖縄にて、サトウキビの搾りかすを使ってシーサーの置物をつくれないかと挑戦中だそうです。
このモアイたちの生みの親が、冒頭で紹介した、池原さんなのです。
会社にお邪魔すると、いたるところにモアイ像が置かれており、圧倒されるほどのモアイへの愛情が伝わってきます。そんなあふれるモアイへの愛情は、いったいどこから湧いてくるのでしょうか。池原さんの想いを伺いました。
モアイに惚れた原体験
好きだから。その一言に尽きます。
人を好きになるのと一緒で・・・。なんでって言われても、好きだから、ですよね(笑)
モアイが好きな理由をお聞きすると、そんな答えが返ってきました。
見た瞬間、その、形が・・・もうね、魅了されてしまって。なぜ、こんな何もないところにこんな大きい岩の塊を置いて作ったのかってそんなことを考え始めたら、ずぅーっと頭についてしまって(笑)一目惚れですね。
笑いながらも真剣に答えてくれた池原さん。そんなモアイとの出会いは、小学生の頃に、世界七不思議の本を手に取ったことが始まりでした。ピラミッドやナスカの地上絵などと混じって、モアイが載っていたそうです。
Uターンして家業を継ぐ
それからというもの、モアイの存在がずっと頭に住み着いて、何かをつくると言ったら必ずモアイをつくっていたというほど取りつかれてしまいます。
しかし、中学校に入り、スポーツに熱中していくうちに、あれだけ熱中していたモアイの存在は次第に池原さんの中から薄れていってしまいます。
鳥取出身の池原さんですが、そのままモアイとは無縁のまま、県外の体育大学へ入学。大学時代は大好きなバレーに熱中していたそう。体育教員になるか、実家の建設会社を継ぐかで迷った末、大好きだったバレーをあきらめて、実家の工業会社の後継ぎとして鳥取へUターンすることを決意します。
家業の中で、モアイ愛が再燃
鳥取へUターンし、会社でもともと扱っていたセメントを使って製品開発をしようとしていた時でした。池原さんに、小さいころの“あの”記憶がよみがえってきます。
手が覚えていたんですね。「ああ、そうだった。俺はモアイが好きだった!」って。
何かあればモアイを作っていた池原さんの手は、モアイを忘れていなかったのです。これをきっかけに池原さんは、再びモアイの道へ走ることになります。
鳥取砂丘のための研究開発
ちょうどそんな時に、鳥取市の観光協会の人から、鳥取砂丘の砂を使って何かできないかという話が池原さんのもとに届きます。
それを聞いた池原さんは、工業会社でもともと扱っていた、セメントを用いたモルタル造形という技法を、砂を使って出来たら面白いのではないかと思案。そこから、砂の研究に没頭してしまいます。
孤独な新規事業へのチャレンジ
毎日研究に明け暮れる池原さんを見て、「そんなお金にならないことをしてどうするの?」と、ともに働いていた社員は去り、周囲の批判や不景気も重なって、次第に池原さんの周りには誰一人いなくなってしまいました。
結局、モルタルマジックの新事業を立ち上げる際も一人だったそうです。技術の開発のため、朝から晩まで工場にこもる日々が続きました。
周りから、『彼は病んでいるのではないか』と、言われたこともありました。でも、基本的に負けず嫌いだから。何を言われても継続してきて、やっと今なんです。
周りから批判されると余計にスイッチが入るという池原さん。一人でひたすらに技術開発に取り組んだ年月は、なんと5年間。その年月が、池原さんの意志の強さを物語っています。現在のモルタルマジックの技術を生み出したころには7〜8年の年月が過ぎていました。
鳥取砂丘をモアイで活性化
砂を用いたモルタル造形、「モルタルマジック」をついに完成させた池原さんは、大好きだったモアイを、地元鳥取砂丘の砂で製作します。すると、それがお客さんに受け、今では鳥取砂丘はもちろん、全国14か所で池原さんの生み出したたくさんのモアイのおみやげを目にすることができます。
砂丘の砂でモアイ、という意外さに、テレビでも取り上げられたり、鳥取のおみやげとして観光客からも人気となっています。現在は、モアイの商品だけでも、30種類以上あるそう。
愛の聖地・鳥取砂丘で“モ愛”を作る理由
一見、鳥取×モアイと聞くと、異色の組み合わせのように感じますが、これには少しのワケが。
実は鳥取砂丘は「愛の聖地」として知られており、愛の聖地の砂で、「モ愛」をつくる、というちょっとした遊び心が隠されていました。最近では、知事とのモアイ対談も果たしたのだとか。しかし、池原さんが鳥取でモアイを作り続ける一番の理由は、地元で大好きなモアイを作りたい、という思いがあるからです。
やっぱり鳥取は、生まれたところだから、こだわりたい。メインの製造工場は、これからもずっと鳥取に置いておきたいですね。正直、不便なところも多くて昔は鳥取が嫌いでした。
でも今は、仲間がいるから。モルタルマジックが成功してから、人脈も広がっていったし、周りに仲間がいるのは励みになりますよね。やっぱり鳥取の一番の魅力は、『人』じゃないかな。
鳥取砂丘で繋がる、モアイと郷土愛
大好きなモアイを、愛する地元鳥取で、生み出し続ける池原さんに今後の夢をお聞きすると、「モアイ像を鳥取砂丘に建てること。」と迷わず即答。砂丘をバックに悠々と佇むモアイ像を夢見る池原さん。しかし、国立公園の鳥取砂丘では、モアイ像を設置することは、現段階では難しい話だといいます。
そのためにも、47都道府県、全国展開をして力をつけていきたい。そのあかつきには、モアイ像が鳥取砂丘に佇む姿をこの目に収めたいですね。
たった一時間の取材でも、あふれんばかりのモアイへの愛を感じるほど、池原さんがモアイについて語ってくださるときの表情は、とても幸せそうでした。また、モアイについて真剣に語ってくださる中でも、時折冗談や雑談も挟んでくださり、お話していると自然と笑顔になってしまうような方でした。
地方で「好き」を追求する仕事
一時は、周りに誰もいなくなってしまったと語る池原さんですが、現在は12人の仲間たちと日々モアイに向き合っています。
池原さんの親しみやすい雰囲気は会社全体にも感じられ、商品開発の会議も誰かの会話が派生して知らぬ間に始まるのだとか。営業担当の方にもお話を伺う機会がありましたが、本当に心から楽しそうにお仕事の話をしてくださったのが印象的でした。
オフィスの真ん中で、「モアイが大好きなんだ。」と真剣に私に語る池原さんの言葉に、他の社員さんたちはちょっと苦笑しながらも、その社内の雰囲気には、モアイを愛してやまないボスを皆が慕うような、とてもあたたかな空気が感じられました。モアイだけではなく、人に対しても愛に溢れた池原さんの人柄が反映されているように感じます。
自分の好きなものを全力でとことん突き詰める池原さんには、他の誰にも負けない情熱があります。その情熱がこもったモアイに出会ってしまったら、だれでもきっと家に持ち帰ってしまいたくなることでしょう。いつか、鳥取砂丘にモアイ像が建つ日が楽しみです。