年間200万人以上の外国人観光客が訪れる広島。外国の人びとが立ち寄りそうな場所で、よく目にする雑誌があります。数々の美しい写真や充実した取材内容を誇る、広島で唯一の英文フリーマガジン「GetHiroshima(ゲット・ヒロシマ)」。
年4回、各1万部発行されている同誌は、広島の観光スポットやイベントだけでなく、ディープな地元情報、食や暮らしなど、幅広いテーマをカバーしています。
外国人観光客や移住者を引き寄せ、多様性のある地域を育むメディアの秘訣とは? 18年前に「GetHiroshima」を立ち上げた、イギリス人編集長ポール・ウォルシュさんにお話を聞きました。
英語の情報がない!広島をさまよった22年前
ポールさんと日本の出会いは、大学卒業後に参加したJETプログラムを通じて、大分県の学校で3年間英語を教える仕事を得たことがきっかけでした。
その後、大分で出会って、後に妻となるアメリカ人のジョイさんとともに、アジア各国を旅しながら、再び日本へ戻ることに。2人は、広島の英会話学校で仕事を見つけ、当初は数か月のつもりで広島に暮らしていました。
今から22年前の広島は、世界的に有名な街でありながら、英文情報と言えば、平和記念資料館のパンフレットくらいしかなかったそう。外国人観光客は今よりも少なく、地域からあまり重視もされておらず、外国人が入りやすいようなバーやカフェもほとんどありませんでした。
ネットも普及していない時代に、ポールさん夫妻はどこへ行っていいかもわからず、おのずと自然の中でアウトドアスポーツに熱中。
でも、若かった私たち夫婦は、やはり街や文化、ナイトライフも楽しみたい!と思っていて、広島での暮らしに少し飽き始めていました。その頃ようやくインターネットが普及し始めて、香港の友人が、アジア各国の街の面白さを伝える情報サイトを立ち上げていたんです。
自分たちも、この広島でまだまだ知らない場所があるはずだ。試しに、広島版の英文メディアを作ってみようと、2000年にウェブサイト「GetHiroshima.com」を始めたんです。ボランティアというか、趣味のような感じでしたね。
活動を始めたポールさん夫妻は、広島の街をさまよいながら、面白そうな店やカフェを見つけたら入ってみるを繰り返し、一軒一軒情報を集めていったのです。
小さなマップは、情報いっぱいのマガジンへ
当初は、広島に住む外国人向けに、ウェブサイトや掲示板で情報発信をしていたポールさん。しかし、2〜3年経った頃、次第に広島市内で迷ったり困ったりしている外国人観光客を目にするようになりました。
当時は、スマホもWi-Fiもなかった時代。英語のローカル情報がない中で、ほとんどの外国人観光客はメインの観光地だけ訪れて、すぐに広島を去っていく状況だったのです。
そこでポールさんは、ウェブサイトに加えて、バーやカフェ、お好み焼き屋などの情報を載せた英文ローカルマップを発行。マップは、瞬く間に、外国人観光客に重宝されるように。年4回更新し、5000部ずつ印刷しては、お店などで配布を続けました。
その頃広島市でも、外国人が入りやすいようなカフェや英語で対応できる店が徐々に増えて、外国人観光客も増え始めていました。自治体もこのマップに興味を示し、インフォメーションセンターや公共施設にも置いてくれるように。街の変化とともに、マップも広がりを見せていきました。
大きな転機は、2011年の東日本大震災。福島の原発事故の影響もあり、日本中から多くの外国人が去り、観光客が激減。外国人観光客が激減したことは、広島の地域経済にも大きく影響を与えました。
世界から人を呼び込むことの重要性に、地域そして日本全体が気づいた時でもありました。震災から数年経つ頃には、自治体や地域の企業、お店が、外国人に向けて情報を発信することに、少しずつ積極的になっていったんです。そこで、2014年にフリーマガジン「GetHiroshima」を創刊しました。
「ただの観光客から一歩踏み出して、地元人になってみよう」
GetHiroshimaが最初にマップを発行した時からのスローガンがあります。それは、“Be more than a tourist, become a virtual insider (ただの観光客から一歩踏み出して、地元人になってみよう)”。
GetHiroshimaのコンテンツは、地元の人たちが行くような少しディープなお店や穴場エリア、歴史、食文化などの情報が満載。広島のアンダーグラウンド界の女王と呼ばれるナビゲーターによる街や店紹介などは、日本人が読んでも新鮮な内容です。
広島に住んでいる外国人も、暮らしをもっと楽しむための情報を求めています。それは観光客も同じで、単なる観光スポットの情報だけでなく、日本人の日常の暮らしとか考え方とかに興味を持っている人が多い。もう少しディープな情報が求められている。広島を訪れる外国人が、「広島に住んだらどんな感じかな」と想像したり、感じたりできるようなきっかけを作りたいですね。
それと、言葉があまり通じない国を旅する外国人観光客って、やっぱり孤独やストレスを感じることも、結構あるんですよね。原爆ドームや平和記念資料館を訪れた外国人観光客は、気持ちが落ち込んでいることが多い。広島を訪れる外国人観光客のトップはアメリカ人ですが、自分たちが地元の人にどう受け止められているのか、不安に思いながら来る人も多いんです。
そんな時に、地元の居心地のいいバーやカフェなどで、楽しい日常の時間を過ごしたり、そこで地元の人とコミュニケーションもできたりすると、不安や心のバリアがなくなっていくものです。悲惨な過去があっても、個人と個人の心が通じ合うきっかけがあれば、乗り越えられると思うんです。
人と人との「つながり」が生まれるきっかけをつくる
さまざまなコンテンツを発信するGetHiroshimaには、ポールさんが大事にしている考えが込められています。
広島を訪れる外国人と、地元の人をつなげること。人と人がつながれば、それは自然と広島や日本への想いにつながり、広島へ戻ってくるリピーターを増やし、母国での口コミにもつながります。
人がつながる一番いい方法は、地元の人たちが行くようなお店で、一緒に食べたり飲んだりすることです。食べ物を囲むと、人はリラックスして、地元の人との交流も生まれます。それから、地域の祭りやイベントも、人とのつながりが生まれやすい。そこへ行けば、地元の人との接点もあるし、共通の話題もある。
英語ができるとかできないというよりは、そこに心の通い合いがあると嬉しいものです。僕も広島の田舎を訪れた時に、そこにいるおばあちゃんたちが、外国人であることはまるで関係ないかのように、日本語でべらべらしゃべってくれたことがあって、それはすごく嬉しかったし、居心地がよかったですね。そういう経験を、たくさんの人にしてもらいたい。
だからこそGetHiroshimaには、季節ごとの各地のイベントや外国人ウェルカムなお店、ベジタリアンやハラル対応のレストラン情報など、外国人が行きやすくて、かつ地元の人との接点になりえるような場について、たくさんの情報が発信されています。
マガジンと並行して年1回発行されてきたマップには、必ず簡単な英語と日本語(プラス広島弁)の会話ガイドも。外国人観光客が、気軽に地元の人とつながれるようにと、ポールさんは願っています。
次なる一歩は、メディアコンサルティング「JizoHat」
ポールさんは、これまでずっと広島経済大学で講師をしながら、ほとんどボランティアのような形でGetHiroshimaを続けてきました。この18年間で地域での知名度も上がり、外国人からも高い評価を得るように。
そして今、ポールさんは、日本全体で外国人向けの情報発信への関心が高まっていると感じています。オリンピックが近づいていることもあり、どの地域でも、いかにして外国人観光客を呼び込むか試行錯誤しています。
新たな一歩として、ポールさんは今年大学の講師を辞め、5月に「株式会社JizoHat(ジゾーハット)」を立ち上げました。JizoHatとは、お地蔵様の笠(帽子)という意味。日本各地にあるかわいらしい笠地蔵のように、旅人を守りサポートする存在になりたいとの想いが込められています。
JizoHatは、地方自治体や企業向けに、魅力的な外国人向けコンテンツやメディアの制作、マーケティング・コンサルティングを行っています。GetHiroshimaのサービスは、マガジン形態としては一旦休刊し、オンラインとマップで情報発信を続けていくそうです。
多くの地域で、さまざまな英文パンフレットやウェブサイトなどが作られていますが、面白くないものが多い。もっと良くできる部分が、たくさんあります。英語自体のクオリティーもそうですが、日本人向けの内容をただ翻訳しただけのものが多い。
外国人と日本人では、前提となる日本の歴史や社会についての知識量が違うので、もっとわかりやすくて魅力的な伝え方が必要です。また外国人観光客は、観光地だけでなく、その地域の日常や人びとの考え方など、もっとディープなローカル情報を求めています。
外国人向けの魅力的なビジュアルやコンテンツ、伝え方、見せ方をサポートできるように、デザイナーや写真家、ライターなどさまざまなクリエイターのネットワークハブも構築していく計画です。
旅人を守る笠地蔵のように、外国人観光客が直面するバリアを取り除きながら、多くの外国人が訪れて旅をしやすいような環境を、日本で作っていきたいですね。
約20年に渡って、外国人向けの魅力的なメディアを作ってきたポールさん。その経験や知恵は、どの地域でも応用できるように感じました。ただ訪れてもらうだけでなく、地元の人とのつながりを作り、それがさらなる人を呼ぶ。
そんなきっかけになる情報やメディアを世界中の人に届けられたら、一過性の観光だけでなく、多様性が根付いた魅力的な地域がもっともっと増えていくはず。ポールさんの活躍に、これからも目が離せません。