皆さんは、本をどこで買いますか?
今は、インターネットで簡単に本が買える時代。さらに大型書店や古本ショップもあれば、図書館だってあります。紙の本ではなく、電子書籍を選ぶ人もいるでしょう。地域に昔から続く書店にとっては、難しい時代と言えます。
そんな中、児童書というコアな分野で、30年以上も広島市民に愛され続けている、小さな本屋さんがあります。広島市で唯一の児童書専門店「えほんてなブル」の店主・松本峰人さん・道子さんご夫妻に、お話を伺いました。
「子どもの本屋をやろう!」30代の夫婦を後押しした一冊の本
まだお二人が30代になったばかりの頃、東京で仕事をしていた峰人さんは、実家の家具製作所を継ぐために広島へ戻ることになりました。5年ほど家業を続けたものの、事業は縮小の一途をたどるばかり。そこで、自分たちで何か新しいことを始めようということになったのです。色々なアイディアが浮かぶ中、二人が選んだのは「子どもの本屋」でした。
― どうして児童書専門店を始めようと思われたのですか?
道子さん: 元々学校の先生になる予定だったのですが、結婚することになって計画変更。でも、いつかは子どもにかかわる仕事をしたいと思っていました。病弱な義母と一緒に暮らしていたので、家にいながらできる方法を模索していました。そんな時、児童図書館員の友人と話して、子どもの本屋をやろうと心に決めたんです。その頃、一冊の本「クシュラの奇跡-140冊の絵本との日々」に出会いました。重度の障害を抱えた少女クシュラが、たくさんの絵本との出会いによって、奇跡の成長を遂げる物語です。
その本の最後につづられた、作者のバトラーさんのメッセージに心を奪われました。「子どもたちをすばらしい本の世界にいざない、健やかな未来を贈る大人が一人でもふえるように願っています」。子どもたちに健やかな未来を贈る一人でありたい。そんな想いから、1984年の文化の日に、子どもの本屋を開店したのです。
広島ではじめての児童書専門店に
当時、広島県に児童書専門店は、まだ一軒もありませんでした。書店経営にまったく知見がなかった二人は、周りに相談しながら、準備を進めました。他県の児童書専門店からは、「児童書だけというのは、ほんと大変だよ。やめておき」とも言われたそうです。児童書というコアな分野に絞ることは、顧客層が絞られることでもあるからです。
峰人さん: 普通のどこにでもある本屋では、逆にうまくいかないのでは、と思っていました。児童書に特化することで、興味のあるお客さんは来てくれるはずだと。ただ、家業をやっていた土地で店をオープンしたので、街の中心部でもなければ、商店で賑わう場所でもなかった。広告を出すようなお金もなかったし、とにかく口コミで、長い時間かけてお客様が増えていった感じですね。
客層は、開店当初はお母さんたちが多かったのが、時代とともに子育て観が変わり、お父さんやおじいちゃん、おばあちゃんも増えているそうです。4年前には、市の中心街である袋町に移転。常連客はもちろんのこと、若い世代を中心に、新しいお客さんも増えています。
取材の時も、保育を学ぶ女子大生たちが、ふらりと来店。「近くのカフェで、たまたまエリアマップで見つけて、興味がわいて立ち寄った」とのこと。子どもの頃の懐かしい本のことや、これから保育実習で何を読み聞かせようかといったことを、楽しそうに話していました。
33年を支えた熱い気持ち
えほんてなブルには、長く愛される名作の数々、広島ならではとも言える「平和」の絵本コーナー、さまざまなテーマごとに揃えられた絵本など、常時約4000冊の児童書が置いてあります。もちろん流行の絵本なども扱っていますが、花形というわけではありません。これらの本を選んでいるのは、もっぱら道子さんです。
― どんな想いや視点で、本を選んでいるのでしょう?
道子さん: まぁ言ってみれば、独断と偏見かもしれませんね(笑)。ただ、どんな物語であれ、そこに「人の真実」が描かれていることは大切ですね。それから、「情」がある本かどうか。情というのは、人間性とかユーモアですね。たくさんの良い本との出会いを通じて、子どもたちの心が健やかに育つ土台を作れたらいいなと。子どもたちが生きづらい世の中になっていますが、豊かに健やかに育ってほしい。
― えほんてなブルには、憲法や政治、哲学など、大人向けにさまざまな社会派の本も並んでいますね。
道子さん: 日本は今、例えば憲法や原発など、さまざまな課題を抱えていて、なんとかしなくてはいけないと感じています。ただ、小さな子どもたちに、そうしたテーマをダイレクトに教える本を読み聞かせるのは、あまり好きではないんです。今ある重い課題がつまったリュックを背負うのは、まず大人であって、それを子どもたちに背負わせてはいけないと思うからです。子どもたちは、年齢に合った良い絵本を通して、心が健やかに育っていれば、いつか社会のことにも興味を持っていくのではないかしら。
峰人さん: うちの店は、大きな利益があるわけではなく、人件費抜きでトントンですけれど、「店が儲からなかったとしても、社会が儲かればいいな」という気持ちでやっています。
お二人に共通していたのは、子どもたちが健やかに育つことこそ、社会の財産になる、という熱い気持ちでした。
お客さんに愛される理由。会話のキャッチボール、幸せな記憶のリレー。
これまで、県内には他にもいくつかの児童書専門店ができましたが、いずれも閉店。えほんてなブルは、今も市内で唯一の児童書専門店として、街に根づいています。
― 30年以上もやっていると、お客様とのつきあいも長くなりますね。皆さん、えほんてなブルになぜ来られるのでしょう?
峰人さん: 多分、色々話ができるからじゃないかな(笑)。本のこと、子育てのこと、社会のこと、色々なことを話したり、聞いたり。私も妻も、お客様にぱっと話しかけるタイプではないけれど、本を媒介にして何となく会話が生まれて、そこから広がっていきますね。お客様からおすすめの本を聞かれれば、話をしたり聞いたりしながら、提案することもあります。
― お客様とのエピソードで、心に残っていることはありますか?
道子さん: ある時、若いお父さんがふらっと来られて、2歳の息子さんの誕生日に本を選んでほしいと言われました。「もりのなか」という絵本を薦めたところ、それを読み始めたお父さんが、急に「あー!」と叫んだんです。あるページを見て、子どもの頃にその本を読んでくれた母の声や、聞いている時の幸せな気持ちを、急に思い出されたからでした。それ以来、毎月1冊絵本を買いに来てくださいました。
開店当時に来ていた子どもが親になり、親だった人が祖父母になり、それぞれまた自分の子どもや孫のために、本を買いに来てくれるそうです。本を読んだ時の幸せな記憶や気持ちが、リレーのように次の世代に引き継がれていく。店が長く続いてきたからこそ生まれるものであり、それがこれからも続いていく理由でもあるのでしょう。
商店街のリーダー的存在に
― 最近は、アマゾンなどのオンライン通販や大型書店、古本チェーンなど、本を買うルートが多様化しています。その中で、地域の書店が生き残るために、求められるものはなんでしょう?
峰人さん: 本は利益率が薄い上に、お客様が分散しているので、地域の書店にとって今は厳しい環境だと思います。うちの店も、初めからずっと厳しい状況に変わりはないですね。でも、子どものために本を選びたいというお客様は、結局変わらずに、うちのような児童書専門店に足を運んでくれます。だから、続けられている。やはり、何か特色があることが求められるんでしょうね。
実は、峰人さんは長年、えほんてなブルがある「うらぶくろ」地区の商店街振興組合の理事長としても活躍しています。広島市の中心地・袋町の裏通りにあるので、通称「うらぶくろ」と名づけられたこのエリア。メインストリートである広島市最大の繁華街「本通り商店街」とは違って、そこにしかない個性的でエッジの効いた洋服店や雑貨店、隠れ家的な飲食店などが立ち並び、若い世代を中心に人気があります。
― 「うらぶくろ」は、どのようにして注目されるエリアになったのでしょう?
峰人さん: 10年くらい前から、少しずつ店が増え始めました。その頃、世代もばらばらな店の経営者が集まって、表通りにはない魅力を感じられる街にしようと動き出しました。街の掃除や落書き消しなどのクリーンプロジェクトをやったり、デザイン性のあるエリアマップやウェブサイトを作ったり。「まち記者養成講座」を開催して、まち記者になった人たちに街を巡ってもらって、記事に書いてもらったりもしましたね。
うらぶくろでは、さまざまなイベントも開催されていますが、中でも注目されているのは、今年で10回目を迎える「ザ・トランクマーケット」。うらぶくろにある公園を会場に、ハイエンドなライフスタイル店が集まる蚤の市です。
峰人さん: イベントは一過性のものになりがちなので、隠れ家的な店が集まる「うらぶくろ」のコンセプトに沿ったものを意識しています。ザ・トランクマーケットでも、そこでしか出会えないような店を呼んで回を重ねるうちに、全国からたくさんの店が参加するようになりました。このイベントをきっかけに、うらぶくろ地区に出店した店が6店舗あります。店もイベントも含めて、街全体に「どうしても行ってみたい」と思わせる特色を作っていくことが大切ですね。
えほんてなブルも、うらぶくろの街も、そこにしかないものがあり、隠れた名作や名店を探すワクワク感があります。だからこそ、「どうしても行ってみたくなる」。そして、長く続いているからこそ蓄積される、人のつながりや幸せな体験の記憶が、居心地のいい空間を作っているように感じます。松本さんご夫妻に、これから目指していることを聞きました。「いい意味で、変わらないで、続けていくこと」。