PR for 島野浦(宮崎県延岡市)
宮崎県の県北地域唯一の離島「島野浦島」。人口900人程度の島が、1年で最も盛り上がるのが島野浦神社秋祭りの2日間です。
江戸時代には海上交通の要所として栄えた島には、伝統文化と漁師文化が根付き、良質な魚がとれることでも知られています。
1日目に続き、島野浦の食と文化を堪能できるお祭りに参加しました!
朝7時から、楽しみがいっぱい!神楽に餅まき!
早朝、まだ月が浮かんでいるような時間から1日は始まります。
チャプチャプと静かに揺れる漁船を見ながら、昨夜、神輿が奉納された御小屋へ。ピンと張りつめた空気の中、顔見知り同士で挨拶が交わされ、静々と神事が始まりました。
大興奮!餅まき
神楽が始まるころ、「餅まきはここでしょうか?」と、ある夫婦に声をかけられました。
「去年は一個も取れなくて、今年は気合いを入れてきたの!」とやる気マンマン。
都会の人には馴染みが少ないと聞く「餅まき」。
“災いを払うために行われた神事が発展的に広まったもの”とされる地域の祭りでは定番の行事です。次第に子ども達も集まってきました。さぁ、いよいよ餅まきの時間!熱気が高まります。
太鼓台を囲む男たち・・・白塗りメイクの謎
8時になりました。神輿が鎮座する御小屋をあとにして神社前へ向かうと、「太鼓台」の準備が着々と進んでいます。
太鼓台には子ども達が乗りこみ、振動に耐えられるよう紐でしっかり括りつけられ、これから絶え間なく太鼓を打ち鳴らします。
神社に帰ろうとする神輿と太鼓台、両者の勇壮なぶつかり合いが見ものである「喧嘩神輿」。
子どもや担ぎ手の減少で見られなかった喧嘩神輿が今年は見られる!ということが今回の祭を盛り上げます。観衆も続々と集まってきました。さぁ、いよいよ太鼓台も町へ出発です。
「祭りを盛り上げるために、次第に白塗りメイクをするようになったとよ~」と教えてくれたのは、お神酒を配っていたお兄さん達。
なんと珍しい風習!フォトジェニック!思わず何枚も写真を撮ってしまいました。
ただただ圧巻。船の海上パレード
神輿と太鼓台、それぞれが町を練り歩くなか、海では船上パレードが始まりました。まき網船、小釣り船、養殖船などが湾内を3周します。
「3周目は激しいから、水を被らんようにね!」島の人から言われ、期待が高まります。港へ行くと、すでに人が集まっていました。
次々に現れる船は、大きさやデザインも様々で迫力満点。「あー!乗ってる!」知り合いを見つけて手を振る人も。次第にスピードをあげた船がいよいよ3周目に入りました。
旗をダイナミックにはためかせ、港ギリギリを進む船。思わず「フー!」と歓声が漏れます。船が行ったあとしばらくしてザブーンと波が。「キャー!」楽しそうな歓声が港に響きました。
復活した喧嘩神輿!ボルテージは最高潮
神輿の先頭では、お清めの塩を捲いています。昨夜からの塩で島の道はうっすらと白くなり、歩くたびにジャリッ、ジャリッと音を立てます。その道を通り、島中を練り歩いた神輿と太鼓台が神社前に戻ってきました。
太鼓の音、男たちの掛け声、観衆の歓声が混ざり合い、神社前の熱気は最高潮です。島野浦神社に戻ろうとする神輿に対し、戻らせまい(祭りを終わらせまい)と太鼓台が抵抗します。
神輿と太鼓台ががっちりと組み合う度に、担ぎ手の勇ましい声が発せられ、「頑張れー!」「キャー!」と大人も子どもも関係なく声が上がります。ほぼ真横に倒れる太鼓台に、中の子どもは大丈夫!?と私もハラハラです。
祭への厳しくも優しい眼差し
盛り上がる光景を少し心配そうに見守る男性がいました。
「怪我だけはね、しないようにしてもらわんと」
聞くと、昭和50年代に神輿を担いでいたとのこと。神輿の担ぎ手が増えるのはとても喜ばしいけれど、「もし誰かが怪我をしてしまっては、祭り自体できなくなってしまうからねぇ…」とポツリ。若者を見守るまなざしは、厳しくも愛にあふれているように見えました。
いよいよクライマックスへ
「ワーー!」
一段と盛り上がった歓声に神輿に目を移すと、太鼓台の上の傘がちょうど奪われるところでした。
これで、神輿が神社へ帰り、祭りに幕が下ろされます。ヘトヘトになった担ぎ手たちの顔には安堵と寂しさが浮かび、観衆も名残惜しそうに神社前をあとにしていました。
後継者部が大活躍。魚すくい取り&カラオケ大会
午後になりました。港では、後継者部が忙しそうに行ったり来たり。今年から新しく企画した「魚すくい取り」の準備です。
今回用意したアジは、なんと1000匹!他にも数種類の魚を入れて、一等には伊勢エビまで用意しているというから驚きです。豪華すぎる内容に子どもたちがたくさん集まり「盛況すぎてこちらがパニックでした(笑)」と本音が。
小学校の先生から観光客まで。みんなでカラオケも
今年から運営を引き継いだという「カラオケ大会」も同じく大盛況。J-POP、アニメソング、演歌と幅広いジャンルで観客からも大きな歓声が。
出演者も、小学校の先生、インドネシアからの研修生、祭りで島に帰っている人など、様々でした。
島の若者としての思い。まずは島野浦を知ってもらいたい。
祭りでも大活躍している「島野浦町漁業後継者部」ってどんなグループなのでしょう?メンバーの佐藤さんにお話を聞きました。
後継者部というのは、漁協組合の若手が中心となって作っているグループです。
水産加工や漁協職員など、今は中心メンバーの12名だけでなく、色々な人が関わってくれています。昔と比べて、島の若者は本当に減ったんです。
そこでみんな危機感を持つようになって、魚や干物の移動販売やイベントへの出店など、積極的に動くようになりました。ここ(後継者部として出店していたスペース)も、去年はガランとしてましたけど、今年は賑わいが出て良かったと思います。
イベントは、日之影や高千穂、島外のデイサービスから声がかかったりもしていて、段々と島野浦というブランドは高まっていると思います。今後の課題はなんといっても“人材”です。
みんな自分の仕事を持っているので、継続して活動していくための環境作りをしていきたい。まずは活動を知ってもらうことで、協力してくれる人が増えていくと嬉しいです。
島野浦と人がつながる特別な1日
夕方、港のフェリー乗り場へ行くと、別れを惜しむ家族で溢れていました。
「お正月に帰れそうにないから、この祭りに合わせて帰ってきたんです」という親子の話を聞いていて、島野浦神社秋祭りが、普段は島外で暮らす人の「島へ帰るきっかけ」になっていることが分かりました。
また私のように島が初めての人にも、島野浦の人たちはとにかくオープン!祭りは1年に1回ですが、これからも後継者部を中心にイベントが企画されているようです。楽しみです!
寄稿:岩村明子