最近、「地方を元気に!」という言葉を耳にすることが多い。
地域おこし協力隊をはじめ、地域再生・創生を目的とした活動も活発になってきている。
でもわたしとしては、そこに根本的認識が欠けているような気がしてならない。
それは、「稼げるなら人は自然と集まってくる」という法則だ。
日本の地方ではカネが稼げない
なぜ日本の地方は、がんばってまで再生しなきゃいけない状況になってしまったのか。
それは単純に、田舎に住む人が減ったからだ。
ではなぜ、田舎から人が出て行ってしまうのか。
それもかんたんで、カネが稼げないからだ。
仕事が見つからない場所に、人は留まらない。郷土愛では飯は食っていけないのだから仕方ない。
わたしは東京の大学で学んでいたのだが、地元が好きでも、「仕事が見つかるかわからないからとりあえず東京で就職する」と言う友人は少なくなかった。
地方にも魅力的な地元密着企業や中小企業があるのだが、日本の新卒採用という採用活動だと、なかなか表に出てこない。
だから学生は、とりあえず東京に行けば就職先が見つかる、企業がたくさんある東京に行こう、と上京する。
そして一度職を手にしてしまえば、わざわざ仕事が少ない、あったとしても給料が相対的に低い地方には帰らない。
日本の地方が「元気じゃない」と言われるのは、極論を言えば、「現地でカネが稼げないから」に尽きると思う。
各地に勤め先があるドイツ
わたしは現在ドイツに住んでいるのだが、日本とはずいぶん状況がちがう。
ドイツは州立国家で、企業が各地に点在している。
2014年、「フォーチュン・グローバル500」にランクインしたドイツの大手企業は28社あったのだが、そのうち最も多くの企業が占めていたバイエルン州ミュンヘンですら、4社しかなかった。
フォルクスワーゲンの本社があるヴォルフスブルクなんて、日本の会津若松市程度の約12万人の人口しかない。
アディダスとプーマの本社があるヘルツォーゲンアウラッハという都市は、なんと人口2万人ちょっと。岐阜県飛騨市や北海道の富良野市くらいの人口しかないのだ。
それでも、フォルクスワーゲンもアディダスもプーマも、世界有数の大企業だ。
ドイツの地元企業は、日本の中小企業のような「下請け」であることは少ない。自ら取引先を選び、自分で製品を作り出し、売っている。
だから、「系列会社の本社がある大都市に移転」という発想もない。
官民連携の地元企業も多く、地方政府のもと経済振興公社があり、「継続的」に「地元」で稼げる環境づくりが進められている。
ドイツは同じ仕事ならちがう企業でも給料水準が一緒の職務給という仕組みなので、どこの企業に勤めているかはみんな気にしない。
地方にも優れた中小企業が多いから、住んでいるところ、住みたいところで仕事を探せばいい、となる。
こういった環境だから、ドイツは地方都市(そもそも地方という概念がないのだが)も元気だ。
これが、ドイツと日本の「地方」のちがいである。
官民が協力して地方の活性化を
昨今の田舎移住ブームを踏まえると、「現地でカネを稼げるならぜひ移住したい」という人は、少なくないだろう。
それでも大都市に留まるのは、やっぱり就職先があるかどうかではないだろうか。
結局のところ、「稼げれる場所には人がやって来る」というのがすべてだ。
2014年に安倍内閣が「まち・ひと・しごと創生本部」を発足させたことからも、国が「地方に雇用が必要」と考えていることがうかがえる。
日本でも、地方自治体が地元の旅館や企業を再生させるために腐心しているのは事実だ。
それでも、十分な働き口を確保できる地方は多くはない。
東京一点集中型の国づくりをしてきてしまった以上、ドイツのように地方分権の州立国家をモデルにするのはむずかしい。
だが地方を活性化させたいのであれば、ドイツのように地方でもカネが稼げる仕組みは必要不可欠だ。
「この村は自然が美しい」「郷土料理が自慢です」と言ったところで、現地にカネを稼ぐ手段がなければ、パソコンひとつで稼げるノマドワーカー以外は現実的に「田舎に住もう」とはならないだろう。
地方を活性化させたいのであれば、現実問題として就職先がないとダメなのだ。
地方の良さをアピールすることも重要だが、いかにして地方で雇用先を確保するか、経済を活性化させるかについて、地方自治体だけでなく多くの企業が協力して本気で考えていくべきだろう。