平成6年に世界遺産登録された京都の醍醐寺。醍醐寺は平安時代から「花の醍醐」と呼ばれる桜の名所。豊臣秀吉が死去する約半年前に大々的な花見が行われた場所でもあります。
秀吉にとって特別な想いがあったであろう「醍醐の花見」。花見が開かれる前年から秀吉の死までをまとめました。
即断即決。下見からわずか3日後に工事が始まった「醍醐の花見」
「醍醐の花見」が開催される前年の3月、秀吉は醍醐寺を訪れて桜を鑑賞しています。
翌年の2月9日と10日、秀吉は徳川家康と前田利家とともに醍醐寺を訪れ花見の開催を決定。下見からわずか3日後の2月13日には花見のための工事が開始されました。
花見開催の決定より以前から醍醐寺各所の修理は始まっていたものの、花見の下見の際には「二王門」の修理や「御殿数宇」の建築などが命じられたそうです。
花見の開催まで約ひと月。工事は超特急で進められました。
何度も現場に足を運んだ秀吉
花見の為に醍醐寺に移植された桜は700本。
これらの桜は畿内や吉野から集められ、移植は工事が始まってからわずか1週間程度で完了しています。
秀吉は工事の際中である2月16日に醍醐寺を訪問。さらには工事が完了した19日、23日、28日、3月に入ってからも何度か足を運んだという記録が残されているそうです。