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茶々 (淀殿) も豊臣秀頼も身長が高かった? 身長のせいで囁かれる “ある疑惑” とは

茶々 (淀殿) も豊臣秀頼も身長が高かった? 身長のせいで囁かれる “ある疑惑” とは

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織田信長の妹であるお市の方の3人娘のひとりとして生まれ、波乱万丈な人生を歩んだ茶々(淀殿)。最期は息子・秀頼と共に自害する運命をたどっています。
画像:豊臣秀頼  京都市東山区養源院所蔵の絵

父似で大柄だった淀殿と低身長の豊臣秀吉

若い頃と天下統一後でそのキャラクターが一変するかのような豊臣秀吉。淀殿が秀吉に嫁いだのはまさに天下統一がなされる直前。

淀殿は父である浅井長政に似て当時の女性としては大柄。女性の平均身長が149センチであった時代に168センチの身長がありました。

一方の豊臣秀吉は当時の男性平均身長157センチを大きく下回る140センチの身長。2人の身長差は30センチ弱あったことになります。

息子・豊臣秀頼の容姿

豊臣秀頼は秀吉が56歳のときに淀殿との間にできた子ども。

母に似たのか、成人後は現在の男性でも高身長の部類となる180センチの身長がありました。顔つきは気品に満ち見栄えのよい青年であったそうです。

正室には徳川家康の孫娘である千姫をむかえていましたが、徳川家康に攻められた大坂夏の陣を経て22歳で母とともに大阪城内で亡くなっています。