“第1回地場もん国民大賞の金賞、輝かしい賞の裏側には、生産者とプロデューサー村岡浩司さんの地道な努力がありました。「なぜ、地域の特産物を作ることになったのか」「これからの地域のあるべき姿とは?」村岡浩司さんにインタビューしました。”
18歳で渡米、アメリカで起業
私は宮崎県宮崎市で生まれ育ちました。実家は昭和41年に創業した老舗の寿司屋です。18歳当時、まだ若かった私は寿司職人として寿司屋の道を極めるよりも、もっと広い世界をみたいという想いを強くもっており、なかば稼業を継ぐことから逃げるような形で渡米、アメリカ・コロラド州へと渡りました。
渡米して1年後の19歳の時、アメリカで友人と一緒にアンティーク家具や古着(ヴィンテージ衣料)を取り扱う事業をはじめました。事業は、徐々に軌道に乗り、21歳で宮崎に戻り、日本と米国でビジネスを展開しました。
事業で大失敗、家業を継ぐも困難が
事業は順調だったものの、28歳の時に仕入れで大失敗をし、会社を潰す経験をしました。その後、腹を据えて家業である寿司店を継ぐ決意をし、それからは、まさに職人になるべく徹底的に修行をしました。
家業を継ぎ、寿司職人として活動をする中、O157(おーいちごーなな)が発生、(*1996年生し、食中毒をもたらした大腸菌。カイワレ大根が疑われると当時菅直人が大臣であった厚生省(現厚生労働省)が発表し、大きな風評被害をもたらした。Wikipediaより) 主力商品であるレタス巻きも風評被害を受け、会社の方向性を日夜考える日々が続きました。
会社の原点に立ち返り、地域に根ざした飲食企業へ
宮崎に「新しい食文化を創造する」という会社の使命に立ち返った私は、社内ベンチャー制度を設け、その1つとして「タリーズコーヒー事業」を開始。国内のFC1号企業となり、九州1号店を橘通りにオープンさせました。同時に、地元貢献の為に、様々な地域(商店街)活動に関わるようになりました。
「街市」で生産者とのつながりができた。
中でも宮崎県産のこだわり食材を商店街に集合させる「街市」では、その活動を通じ、地域と会社の事業が垣根なくどんどんと一体化する事を実感しました。自分たちの事業だけが成功するのではなく、地域全体で経済の循環を生み出していくことが大切です。
農業生産者の皆さんとのつながりができた中、ここから更に新しい食文化を創造し、自然と人と地域を元気にするために「自分にできる事はなにか?」と考え始めました。
新しい食文化を作り続けていく使命がある 九州パンケーキが誕生
稼業である寿司屋の先代が、宮崎発祥の郷土料理レタス巻を生み出しました。「私にできる事は、何か」を悩んだ結果、九州パンケーキにつながりました。
なぜ九州パンケーキか?
九州パンケーキには、街市のように「みんなで盛り上げる」利他の精神があります。宮崎県だけでPRするのではなく、九州という概念でものづくりをして、外部の人に知ってもらう。
その中で、このプロダクトに関わってくださる各都道府県の産地がそれぞれ努力をして、共に成長していく生態系が創りたいと考えたからです。
試練の連続。素人が、パンケーキを作る大変さ
コンセプトはできたものの、九州パンケーキの開発は困難を極めました。私達はメーカーとしては全くの素人です。当時は、小麦の産地事情や入手(仕入れ)経路さえ分からず、手探りの連続。素材の配合率を決めるまでに1年以上かかりました。
一つ一つ課題を解決し、自分の足で製粉工場や産地を訪れ、想いを伝え、パートナーを探し続けました。
これでダメなら諦めよう
良いパートナーを見つける事ができても、なかなか試作ができない日々が続きました。今だから話せることですが、今の九州パンケーキの形が生まれたのは、ほんとうに偶然のきっかけでした。
これが最後と思いながら試作をしましたが、それでも満足した味ができない。なかばあきらめかけて、ヒラメキでレシピの手法を少し変えて作ったところ、奇跡的に美味しいパンケーキができたのです。
地道な努力が実り、地場もん国民大賞を受賞
物事がうまくいくときは、必要必然ベストといいますが、パズルを1ピースずつ、地道にあてはめていく製造開発の作業に1年半かかりました。
しかし、この地道な努力は、無駄ではありませんでした。結果としてジャパンフードフェスタ2013 第1回 地場もん国民大賞(農水省)の金賞を受賞することができました。
九州パンケーキの魅力を、世界中の人に知ってもらい、子供たちの笑顔を生み出したい
九州パンケーキには、九州中の農工商に携わる人達の想いが込められています。
私は、この九州パンケーキを通じて、日本中の子供たちのハッピーな笑顔を生み出したいと本気で考えています。そのためにも九州パンケーキの魅力をたくさんの人に知ってもらう事が大切です。
いま、コミュニケーションのプロたちと、九州パンケーキのコマーシャルを制作しています。今村直樹(CMディレクター)さんが取り組んでいる「オフコマーシャル」という取り組みに賛同して、一緒に1年以上をかけて九州の産地を撮影でまわっています。
オフコマーシャルを製作中
通常のCMは、クライアントが広告代理店やクリエイターにオーダーしてつくられ、テレビでオンエアするもの。
でも、クリエイターのほうから企画し、クライアントへ提案してつくり、テレビでオンエアすることを前提としないCMがあってもいいのではないか。そんな今村さんの想いからスタートしたのが「オフコマーシャル」です。
僕らは、「九州パンケーキを好きになってもらい、そして、プロダクトの世界観を通して地域が元気になってほしい。」そんな思いを込めて、オフコマーシャルを、つくっています。
この商品に関わる全ての仲間達も、この九州パンケーキの商品を超えた可能性を信じて、仕事をしてくれています。九州パンケーキをたくさんの人に知ってもらうことで、まちづくりの新しい未来が、生まれるかもしれません。
でる杭を打つ時代は、終わりました。
「街市」や地域活動の経験を通じて、1つの小さな成功、その積み重ねが地域全体を元気にすることができる。また、一人ではできないことも、本気の仲間が集まれば何でも実現できる、そんな事を学びました。
この九州パンケーキは、地域全体へのメッセージを込めたチャレンジです。
昔も、今も、これからも、僕らは明るい未来を信じてみんなで挑戦し続けます。
でる杭を打つ時代は、終わりました。九州パンケーキは地域全体でつくる、繋がりや広がりの可能性をもったプロダクト。この後にも、どんどん“地産プロダクト”を世界に広げようと言う気概を持ったチャレンジャーが増えてくる。僕らはしっかりとチームを組んで、この九州から世界に挑戦していく。そんな未来を描いています。