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お家断絶の第1号。”裏切り者”と呼ばれる小早川秀秋のミステリアスな人生とは?

お家断絶の第1号。”裏切り者”と呼ばれる小早川秀秋のミステリアスな人生とは?

    CATEGORY: AREA:滋賀県

謎に包まれた秀秋の死

Kobayakawa_Hideaki_scared

(祟りに怯える秀秋を描いたという絵)

関ヶ原の戦いの後、秀秋は岡山藩55万石に国替えとなりましたが、藩政へも真面目に取り組み藩の近代化をすすめていました。

しかしすぐに秀秋の乱心により、家臣との対立があったりと不穏な空気が漂います。秀秋自身も関ヶ原の戦いからわずか2年後、21歳で生涯を終えました。秀秋の死因についてもこれまた様々な推測がなされています。

石田三成のせい

戦後、最後に秀秋が光成と顔を会わせた際に罵られた言葉により神経を病んだ、石田三成の祟り。

大谷吉継の祟り

秀秋の裏切りが原因で自害に追い込まれた武将、大谷吉継が祟った。

家臣の裏切り

乱心していた秀秋は夢見心地で家臣に斬りつけたりといった事件もあったと言われます。家臣の謀反もあったかも。

家康に毒殺された

岡山での手腕を見ても、俊才な人物だったという評価もでき、後を恐れた家康が毒殺した、とも。

関ヶ原の戦いにおいて裏切ったことを悔やみ心神喪失していた

関ヶ原の戦い時、わずか18歳。様々な政略に挟まれ身動きがとれず心を病んでいたと考えることもできますね。

秀秋の死後、小早川家は後継者不在によるお家断絶となります。これは江戸時代において第一号、徳川政権における初めての断絶となりました。

歴史は後からつくられる

秀秋自身も早くに亡くなりまた家系も断たれてしまった為、秀秋については真相が闇の中という部分が数多くあります。

弱々しく決断力のない性格で描かれることが多い秀秋ですが、もし後の世を生きていたら違う形で名前を知られる存在になっていたかもしれないと評価する人もいるようです。

「歴史は後からつくられる」後に秀秋に関する新しい資料が見つかった際にはまた違う評価になるのかもしれません。