和歌山移住:限界集落の関係人口を増やす、那智勝浦町色川地区の狩猟体験ツアー

紀伊半島の南東部に位置する、和歌山県那智勝浦町色川地区。世界遺産として知られる熊野古道の大門坂、那智の滝、那智大社を有する那智山のすぐ西側にある小さな集落だ。

那智勝浦町自体、どの都市圏からどんな交通機関を利用しても時間がかかる。色川へはさらに車で山道を30分ほど。利便性とはかけ離れた山里の住民数は、年々減少を続けており現在約340人。ひとことで言ってしまえば、いわゆる過疎集落と目される地域である。

この色川地区で、数年前から「狩猟体験ツアー」を企画し、都市部からの訪問者を受け入れているのが猟師の原裕さんだ。NPO法人地域再生ネットワークの鳥獣害対策部として、猿や鹿、猪による農業被害の軽減に取り組む一方で、獣害と狩猟を切り口に地元・色川と都会の人たちをつなぐ活動にも力を入れている。

都会と地方をつなぐ、2泊3日の狩猟体験ツアー

原裕さんが企画、ガイドを務める狩猟体験ツアー。獣害や狩猟について学びながら、実際に罠を仕掛け、かかった獣を仕留めて解体、調理して食べるところまでを2泊3日で体験できる。1回の開催につき5〜15名の参加者を受け入れているが、その多くは大阪や東京など都市部に住む人たちだ。

「狩猟を始めたいと思って、こうしたツアーを探していた。」「地方移住を検討するなかで知り、地域の取り組みとして興味を持った。」「ふだん何も考えずに口にしている肉が、どんなプロセスでできているのか知りたかった。」「殺して食べるということに向き合いたかった。」

参加者に尋ねてみると、ツアー参加のきっかけはさまざまだ。しかし共通項として、「リアリティある地域の暮らしを知りたい。」「都市部では知ることのできない生きること・食べることの手触りを感じたい」という気持ちが透けて見える。

そんな都会に住まう人たちの要求を知ってか知らずか、原さんがこのツアーを企画するのは、「自分の生まれ育ったこの色川で今起きている現実を、飾らずにそのまま見せたい」という気持ちがあるからだという。

地方移住の先進地で生まれ育つ

原さんは1990年、色川地区中部の集落、大野に生まれた。原さんの両親は、兵庫県と大阪府からの移住者だ。じつは色川地区は移住の先進地として注目されてきた土地でもあり、移住の歴史は1974年にまで遡る。以来今日まで40年以上、他地域から移り住む人が絶えず、今では住民340人のうち4割以上が移住者という比率となっている。

原さんの父、原和男さんは1981年に色川に移住し、農業に従事する傍ら積極的に地域活動に取り組んできた。若い力を地域に生かす青年会の復活や、地域づくりを推進するための委員会を立ち上げるなど、住民主体の地域づくりの基盤を築いたひとりである。

原裕さんは、そんな原家の三男として色川に生まれ、色川で育った。大学進学を機に家を出て鹿児島県で暮らしたのち、22歳で帰郷。今年で6年目を迎える。

地域課題・獣害被害を解決

「本当は、まだ帰りたくなかったんですよ。」と原さんは当時を振り返る。

大学は農学部で、3年次から家畜のコースに進みました。野菜は実家でも見てきたし、せっかく畜産県の鹿児島にいるんだし、とほぼノリで選んだだけです。

4年になって、研究室で取り組んでいたテーマの中から卒論を決めるんですが、一番興味があるなと思って選んだのがイノシシの獣害対策でした。

原さんが卒論をイノシシに定めたそのころ、地元色川では獣害被害が至るところで拡大しており、地域課題として獣害に取り組もうという住民の機運が高まっていた。

地元のために研究しようとかまったく思っていなかったんですけど、偶然にもぴったり時期が合ってしまって。帰ってきて獣害に取り組んでほしいと親父から言われて、流されるままに帰るのを決めたかんじです。

とは言っても、どこかに地元への想いはあったんだとは思う。最近見つけたんですが、小学生の時の文集に、獣が畑を荒らすのでなんとかしたい、と書いてあって。育ってきた環境が、いつのまにか今の道を選ばせたのかなと。

都市と農村の交流へのチャレンジ

当時農林水産省が進めていた、農林水産省の「都市農村共生・対流総合対策交付金事業」における人材活用対策である「新・田舎で働き隊!」(現在は地域おこし協力隊に制度統合、そのしくみはほぼ同じ)の制度を利用してふるさとに帰ってきた原さん。

イノシシの生態や柵についての知識はあったが、実際の色川地区の被害は、サル、シカによるものが中心だった。前任者もなく、知識や経験不足を痛感しながら、文字通り手探りで獣害対策を仕事にする日々が始まった。

狩猟体験ツアーの原型もこの頃に生まれた。人前で話すことに苦手意識しかなかったという原さん。なぜツアーを始めたのか尋ねると、「やらざるを得ない状況だったから」という拍子抜けする答えが返ってきた。

田舎で働き隊として掲げる目標のなかに“都市と農村の交流”という柱があり、それに沿って何かしなきゃいけないなということで始めたんです。

でもやっていくうちに、この地域に初めて来た人をガイドすることに楽しさとやりがいを感じるようになりました。自分を介して地元を知ってもらって、楽しかったとか好きになったとか言ってもらえたらやっぱりうれしいです。

「地域の暮らしそのもの」を伝える

消極的な理由で始めた狩猟体験ツアー。しかし、原さんが「田舎で働き隊」の任期を終了し、NPO職員となってからも継続している。その内容は年々拡充されており、今年は初めて夏季ツアーも行うことが決定したという。

このツアーは、ジビエ料理教室でも、狩猟の技術が学べる講習でもない。獣害も狩猟も、地域の暮らしの一部として伝えたい。「特別なことじゃないよ。」ということ含めて体験してもらう内容にしています。

狩猟期間ではない夏にツアーをやるのも、体験してもらうのは色川の暮らしそのものだからです。夏には夏の暮らしや楽しみがある。それと狩猟を組み合わせて見せてみようという試みなんです。

二泊三日のうち、一見狩猟とは関係のない「農家訪問」を組み込んでいるのも、その想いが反映された結果だ。農作業を手伝ったり、薪を割ったりと身体を使いながら、なぜ色川に移住してきたのか、ふだんどんな暮らしを営んでいるのか。参加者たちにとって、住民の話をじっくりと聞き、交流する貴重な時間となっている。

移住促進ではなく、継続的な関係をつくる

原さんを突き動かす原動力は、ふるさとのために何かしたいというシンプルな想いだ。

移住者は絶えないものの、高齢化は進む一方で、色川地区の住民数は減り続けている。限界集落の未来をどうやって切り拓いていくのか。都会からの移住者でも研究者でもなく、この地で生まれ育ったひとりの人間として、原さんは自分にできることを模索し続けている。

ふるさとラブ!みたいなことじゃない。どこが好きと聞かれても、とくにどこというのもないんです。

落ち着く、という感覚が一番近いですね。ここがここにあるという安心感があって、それを守りたいのかもしれない。

では、狩猟体験ツアーは、ふるさとのために移住者を獲得することを目的としているのだろうか。尋ねながら半ば予想はしていたが、「そこまで考えてない」との答えが返ってきた。

ふだんの自分の暮らしに違和感を持っていたり、なんとなく地方の暮らしを知りたいと思っていたり、そんな人たちの手助けができたらいいなという気持ちはあります。でも、移住促進というのは全然考えてない。

正直なところ、移住者がもし色川にひとりもいなければ、もう集落の維持はできていないと思う。でも結局移住者の子どもたちも出ていくから、人口減少が止まらない。自分含め、ここで生まれた子どもがいかに残れるようにしていくかというのが次の課題なんじゃないかな。

ツアーで、嬉しい誤算というか、予想していなかったことがあって、参加者のなかから、その後何度も色川を個人的に訪れてくれるような人たちが自然と出てきたんです。

一度来て終わりじゃなく、ツアーきっかけに継続的な関係が生まれてきている。“住民ではなく応援してくれる人たち”が増えているということは、未来に向けて価値のあることなんじゃないかと思うし、心強いですね。

地方の生き方:生まれ育った土地で生きていく

狩猟体験ツアーは、地域を住民以外に開くことの可能性を示している。

関係人口の増加が地域づくりの鍵になると言われて久しいが、増加にとどまらず、住民と都市の応援者の幸せな関係をどう築き、その力をどうやって地域づくりに生かしていくかというしくみづくりが課題なっていくに違いない。ツアーをきっかけに始まった都市生活者とのコミュニティ形成も、原さんは自分が担うべき次のステップとして考えているという。

獣害対策の専門人材として、出身者として、また移住者の子どもとして。原さんは、自分だからこそできることは何かを模索し続け、生まれ育った土地で生きていく術を徐々に確立しつつある。それは、過疎地域に生まれた子どもがその土地に住みつづけていくための挑戦ともいえる。

10年後20年後も、自分の生まれ育った場所を残していきたい。単純で、しかしとても強い想いを胸に、原さんの挑戦は続いていく。

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