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大久保利通を育てた、故郷の薩摩藩の郷中教育って何?

大久保利通を育てた、故郷の薩摩藩の郷中教育って何?

    CATEGORY: AREA:鹿児島県

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5月14日は大久保利通の命日です。西郷隆盛、木戸孝允と共に「維新三傑」と称された彼の人生は暗殺によって幕を降ろされました。激動の幕末史に大きく関った大久保の故郷の薩摩藩、そこには、すごい町と教育がありました!

多くの偉人を育てた郷中教育(ごじゅうきょういく)

郷中教育は薩摩藩における伝統的な教育法で、定められた区画に住む子供たちを年齢別に4つのグループに分け、それぞれのグループからリーダーを選出。リーダーが生活の一切を監督し、責任を負う形をとったものです。

小稚児(こちご、6-10歳)、長稚児(おせちご、11-15歳)、二才(にせ、15-25歳)、長老(おせんし、妻帯した先輩)という年齢層で分けられており、先輩が後輩を指導しながら学問や武術を学んでいたようです。

年齢の違う子供同士が教え合い学び合う為には、相手への思いやりがまず必要ですし、相手の能力を把握しそれに適した伝え方を工夫することも必要です。自発性、協調性、考える力などが身に付きそう!

Wikipediaには郷中教育の根幹となった教えも載っていました。

(以下抜粋)
・武道が第一である。

・武士道の本義を油断なく実践せよ

・用事で咄(グループ)外の集まりに出ても、用が済めば早く帰れ、長居するな

・何事も、グループ内でよく相談の上処理することが肝要であ

・仲間に無作法など申しかけず、古風を守れ

・グループの誰であっても、他所に行って判らぬ点が出た場合には仲間とよく話し合い、落ち度の無いようにすべきである

・嘘を言わない事は士道の本意である、その旨をよく守るべし

・忠孝の道は大仰にするものではない。その旨心がけるべきであるが、必要なときには後れを取らぬことが武士の本質である

・山坂を歩いて体を鍛えよ

・髪型や、外見に凝ったりすることが二才(薩摩の若者)なのではない。万事に質実剛健、忠孝の道に背かないことが二才の第一である。この事は部外者には判らぬものである

これらはすべて厳重に守らなくてはならない。背けば二才と呼ぶ資格はなく、軍神にかけ、武運尽き果てることは疑いがない。

その他

・負けるな

・弱いものいじめをするな

・たとえ僅かでも女に接することも、これを口上にのぼらせることも一切許さない

・金銭欲、利欲をもっとも卑しむべきこと

(抜粋終わり)

「負けるな」
ん?と思うものもありますが(笑)個も全体も大切にしながら強い心を育む教えだなぁと感じました。

著名な人物が次々と生まれた加治屋町

西郷隆盛、大山巌、西郷従道、東郷平八郎、山本権兵衛、黒木為楨、山本英輔

彼らはなんと全員が鹿児島県加治屋町出身です。大久保利通は幼少時に加治屋町へ移り住んだそうです。

加治屋町は鹿児島市にある町で鹿児島中央駅から徒歩で15分程のところにあります。

当時の加治屋町は下級武士の居住地で、上之加治屋郷中、下之加治屋郷中、馬乗馬場郷中が設けられていたようです。

加治屋町には「維新ふるさと館」があります。各偉人たちの生誕地や記念碑を2時間ほどで巡るツアーも午前・午後に開催されています。

まとめ

わずか200m四方の区画で次々と誕生した偉人たち。

郷中教育と類似した教育として昨年の大河ドラマ「八重の桜」の舞台となった会津の什の掟もあります。

一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言をいふ事はなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

どちらの教育も儒教・仏教・神道・武士道の基本となるべきところを大切にしていますね。モラルがとわれる現代こそ、今一度昔の「価値観」を見直すことが必要かもしれません。