ライネフェルデ市の都市再生レポート。第三回は、東西ドイツ統一等の社会状況の変化により、人々の住宅に対する価値観がどのように変化していったのかに焦点を当てる。
3、転換期
1990年の東西ドイツ統一後、旧東ドイツ各地では、資本主義体制の導入に伴う不採算工場の再編と閉鎖が起こり、労働市場が急激に縮小することになった。旧東ドイツ地域では失業者が爆発的に増大した。
2010年現在もなお、旧東ドイツ地域と旧西ドイツ地域を比較した場合、失業率にして約10%もの格差が今なお生じている。
ライネフェルデの国営工業団地も例外ではなく、市の主要産業であったテキスタイル工場が閉鎖され、労働市場の急激な縮小が発生した。
これに伴い、職を失ったライネフェルデ市民が、旧西ドイツ地域へ流出する事態が起こったことで、市の人口が急激に減少し始めることとなった。1990年から1994年にかけて、ライネフェルデ市の人口は、16,500人から12,000人まで、実に25%も減少した。
また、住宅市場の面でみると、100%であった集合住宅の入居率は80%にまで落ち込み、500戸以上の空き家が発生した。市域の一部ではスラム化が進み、治安が悪化し、「ゲットー」と呼ばれる区画さえ発生した。
ライネフェルデ市が1994年に行った調査では、2030年には、ライネフェルデ市の人口は7,500人にまで減少するという見通しが立てられた。これは、1990年からの40年間で、人口が実に半分以下にまで減少することを意味していた。
その一方で、資本主義経済の導入に伴う価値観の変化が、住宅市場における需要動向において、顕在化しつつあった。
旧東ドイツ時代に建設された、2,500戸を擁する集合住宅は、パネル工法と呼ばれる、コンクリートパネルの組上げによって建設されたプレハブ住宅であった。
それらの集合住宅は、社会主義国家における都市建設の例に漏れず、「居住」という目的だけを達するための、画一的で殺風景な、無味乾燥的な建築であった。
そのため、「居住」という機能に本来ならば必然として付随するはずの「心地よさ」や「癒し」、「安心感」、「愉悦感」、「快適性」といった要素が、十分に達せられているとは言い難い状況であった。
加えて、人々が住居を「消費財」「不動産」として見るようになったことで、住宅市場における集合住宅への需要が、低下することは明白であった。
こうした背景と、ドイツ連邦政府による旧東ドイツ地域における都市再生事業の開始、並びに、2000年のハノーヴァー万博のサテライト開催により、ライネフェルデの都市再生事業が、一気に推進されていくこととなった。
それは、人口減少社会に対応し、都市を適正な規模に縮小してその機能を維持しつつ、就労機会を創出し、高質な居住空間を実現して資産価値の高い住宅を市場に供給することにより、地域経済と市民生活の安定をはかるものであったと考えられる。