(画像出典:Wikipedia 家紋入りの旗がひしめく関ヶ原合戦)
誰もが一目で見分けられる家紋は、文字が普及する前、苗字以上に重要なシンボルマークでした。
その歴史は大変古く、平安時代後期に公家が視覚的な美しさだけではなく、固有の印として牛車などに紋をつけ披露したことから始まったとされています。
幕末明治維新で活躍した薩摩、長州、土佐、肥前(佐賀)の家紋についてまとめてみました。
薩摩藩(島津氏)
丸に十字、薩摩藩の家紋は昔は「十」だけで、鎌倉時代から少しずつ形を変えてこの形になったそう。
家紋の由来は諸説あり、“二匹の龍がからみあい昇天する様を連想した” “二本の箸を交差して戦勝の祈りをした” “十字を切る” などがあるそうです。
この十字を切るというのはキリスト教のあれではなくて、魔除けなどで陰陽師が十字をきったりする呪からきているようです。
長州藩(毛利氏)
長州藩のこの家紋は「一文字に三ツ星」と言われています。祖先をたどっていった先にいる阿保親王(あぼしんのう)という人が一品親王(いっぽんしんのう)と称されており、この“一品”の文字を図案化したのがこの紋だそうです。
土佐藩(山内氏)
「土佐柏」と呼ばれるこの紋、岩崎弥太郎の三菱スリーダイヤマークでもおなじみかもしれません。土佐藩出身の岩崎は、この家紋と、自身の「三回菱」の家紋をかけあわせて三菱のマークをつくりました。
佐賀藩(鍋島氏)
鍋島氏の家紋は本来「剣菱」でしたが、豊後の守護となった大友氏が「杏葉紋」を使用していたため、改めたそうです。
あなたもあの有名人と同じ家紋かも!?
家紋は変えることもでき、必ずしも苗字にそったものでもありません。俳優、文学者、歴史上の人物、芸術家などなど様々なジャンルの有名人の家紋をまとめたサイトがこちら。あの人やあの人も同じ家紋を使っているのか〜!と家紋に秘められた由来や各県での使用率など家紋に関するディープな情報が満載です。