「外食」とは、“家庭以外で食事をとること。”
外食とは、そもそもなんでしょうか?
ちなみに外食以外にも「内食」「中食」というのがあって、お弁当や総菜を買って帰って家で食べるのは「中食」にあたるそう。今度「中食行こうぜ〜」って言ってみよう、という訳で今回は江戸の外食事情まとめてみました!
外食産業の先駆けは、浅草金竜山の奈良茶飯(ならちゃめし)?
外食が始まったのは明暦の大火の後と言われています。(明暦の大火、別名・振袖火事(ふりそでかじ)は2日間にわたり江戸の大半を焼き、江戸時代最大の火事となりました。戦争や震災をのぞくと史上最大だとか・・・!)
その頃、単身で江戸へ移住してくる男性や参勤交代により妻子を連れず江戸へきた武士が多かったため、振り売り(天秤にした駕篭などにものを入れて歩きながら売る、時代劇などでよく見るあれです。)や屋台が多くあったそう。
そして店舗をかまえて料理を提供する外食産業、「料理屋」も明暦の大火以降に初めて姿をあらわしました。その料理屋の元祖は・・・
浅草金竜山の奈良茶飯(ならちゃめし)。
浅草なのに奈良???調べてみると、もともとは奈良のお寺の僧たちが食べていた料理だそう。
やっぱりご飯!元祖外食メニュー
お米・もち米に、炒った大豆や小豆、焼いた栗、粟(あわ)などを、塩、だし汁、酒、煎茶やほうじ茶で炊き込んだもの・・・一風変わった炊き込みご飯という感じですね!これに、奈良漬けや豆腐汁がついたものが大人気だったとか。
料亭の元祖は「升屋」その優れた広告戦略とは?
(画像出典:国立国会図書館)八百善料理本にある八百善亭の挿絵
料亭の元祖は、深川洲崎の「升屋」(ますや)と言われているそうで、今でも当時の献立を掲載した本が残っています。
すごい繁盛ぶりを描いた「八百善」(やおぜん)という料理本。
お茶漬けと香の物をオーダーしたところ半日待たされ、挙げ句の果てに料金が一両二分かかったというエピソードが残されています。高い理由は遠方の川に水を汲みにいった運送費ということで・・・このこだわりっぷりには覚悟なしでは入店できないですね。笑
八百善は、当時一流だった画家や作家に参加してもらい、料理本を出版。これが大ベストセラーとなり、江戸から地方へと八百善の名と江戸料理を広めることになりました。うーん、当時にこのアイディア、すごい!
八百善さんのサイトはこちら
100メートルに1軒!?蕎麦屋の数がすごかった
(画像出典:国立国会図書館)蕎麦屋のメニュー
江戸では100m四方に1軒、人の往来が少ないところでも500m四方に1軒は蕎麦屋があったそうです!遅い時間まであいている「夜鷹蕎麦」(よたかそば)などの屋台も多くありました。(この夜鷹というのは私娼のことで、彼女達を客としていたのでこのように呼ばれている、と一説には言われています)蕎麦は昔から人気なんですね〜!
ちなみに日本料理の代名詞、てんぷらと寿司は、現代の形で天ぷらが紹介されたのは1748年の文献だそうで、にぎり寿司は1818〜1830年の文政年間に生まれたそうです。
江戸のみならず、大阪や京都の外食事情も調べてみたいと思ったと同時にお腹もすきました・・・奈良茶飯、食べたい!
つくってみたい方は是非。 料理昔ばなし 奈良茶飯つくり方