「西郷どん」でおなじみの西郷隆盛。
人柄は正義感が強く温和であり人情家であったと言われます。桂小五郎、大久保利通と並んで“維新の三傑”と評される西郷。そんな西郷にも、絶望を感じ自殺を試みた時期がありました。
父のように慕う薩摩藩主斉彬の急死で自殺を決意
歴史の教科書で必ず習う「安政の大獄」。
大老井伊直弼が実権を握り、攘夷派に対して大弾圧を始めた事件です。朝廷、幕府、各藩に至るまで100名以上が処罰の対象となり、吉田松陰もこれにより亡くなりました。
西郷の属する薩摩藩も攘夷派を支持していた為、藩の立場は一転、劣勢にたたされます。この時西郷はすぐに鹿児島へと戻り、藩主の斉彬(なりあきら)へ情勢をまとめた書簡を渡し、すぐに京都へと上京します。藩の為に藩主の為に西郷は奔走していました。
そんな折、藩主斉彬が急死。(彼の死は毒殺とも言われています)次期当主についたのは、西郷とは反対勢力となる人物でした。
切腹を決意した西郷を思いとどまらせた人物
斉彬の死を京都で聞いた西郷。彼にとって恩師であり、育ててくれた父のような存在であった斉彬の突然の死は西郷を絶望の底へと突き落としました。斉彬の墓前で切腹し自ら斉彬の後を追うことを決意します。
しかし、そこで彼を諌めた人物がいました。京都清水寺成就院の僧侶月照(げっしょう)です。
攘夷派の僧侶として薩摩藩とも西郷とも前々から親交のあった月照は
「後を追って死んでも斉彬公はお喜びにならない、それよりも志を受け継いで日本の為に働くことの方がお喜びになる」
と西郷に説き、西郷はこれに奮い立ち再び立ち向かうことを決意します。