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「この街に生まれてよかった」と思えるまちづくりを(2)| 大分県

「この街に生まれてよかった」と思えるまちづくりを(2)| 大分県

    CATEGORY: AREA:大分県


前回に続き、小野仁志大分市市議会議員と「まちづくり」をテーマにした対談をお届します。小野議員自身が活動されている農村の活性化への取り組み、そして「まち」に対する深い愛を語っていただきました。

「場づくり」のきっかけはなんだっていい!

― 小野議員は実際に市議会議員としての立場からまちづくりを推進していらっしゃいますが、地域活性化するにあたって重要なこと等ありますか?例えばこれはやったほうがいい、逆にこれはやらない方がいい、といったことなどあれば教えて下さい。

小野:まずやらないほうがいいことは、補助金をあてにしないということでしょうか。地域活性には行政との関係がでてくる場面が多いと思いますが、そこで、行政からの補助をあてにするケースを非常に多くみてきました。私はお金がなくてできないものであれば、お金があったとしてもあまり良いことはできないと思います。でも、お金がなくても頑張れたことは、お金があればもっといいことができると思います。
一方やったほうがいいことは、当たり前かもしれませんが、人とのコミュニケーション。大分市でも「まちづくりはひとづくり」を念頭に、コミュニケーションをたくさんとり、人をどんどん育てていくことを大切にしています。「一人でまちづくりしています」、と言ってたとしても限界があって変わらないし、結局はみんなの力が必要になります。

 

― 場づくりや横のつながりは私も大変重要だと思います。「場づくりってまず何をやったらいいですか」、とよく聞かれることがありますが、先日GIFTのブログにも挙げた10の条件にも書かせていただきましたが、場はなんでもいいと思っています。お酒の席でも構わないです。ただ、ちゃんと中の一人がファシリテーターとなって進行するといったルールさえ守れば、どんな場所でもできると思います。今、小野さんが参加されている「龍馬プロジェクト」ではいかがですか?

小野:「大分市にも龍馬を増やそう!」、といっていろんな人に声かけて、会議室を借りて話をしたりしています。ただこれは自分のなかでは政治活動という位置づけなので、一人の市民として何かそういう場づくりの活動を進めたいです。

 

荒れてる農地を耕してもいいですか?

小野:実は今それを農業に求めているところなんです。以前友人と二人で農家さんを訪ね、「荒れてる農地を耕してもいいですか?」と聞いてみましたが、「二人ではとてもできないよ。まずは人を集めないと。」と言われました。
大分市内の校区の中に学校のPTAとは別に「親父の会」という児童のお父さん達の集まる会がありまして、そこで先ほどの農家のことを話してみようと思います。

何故こんな取組みをしているかというと、今のままだと誰も農業のなり手がいなくなってしまうだろうし、もっと農業に従事する人が増えれば、例えば加工品を売るなどして収入が増えるような仕組みができます。いろんな農家さんが組んで農業機械を共同で使えるようにしたりすればもっと効率的になります。

また、地区全体を一つの農地としてみたときに、どんな作物をどういうタイミングで作ったりすることを俯瞰的に眺めれば、みんなで利益を享受できるだろうし、そんなことをみんなで考えたいんです。そうするために人を集めて、今度畑を耕すイベントをしてみようと「親父の会」に話をするんです。まだ始まったばかりですが、これをきっかけにしたいですね。大分市も農地を市民農園のように区割りして市民に月額いくらで、というかたちで貸し出していますが、いつも募集が満杯になりますよ。

みんな何かしたい、何かやりたい、という気持があるけれども、自分が農家となるとか、作り手になろう、というところまではいけないのが実情です。土いじりをしたいとか、ちょっとだけなら手伝ってもいい、といった求めるものはみんな持っているけれども、そういうところに自分が橋渡しをして、つながっていければいいな、と思っています。

 

農家と後継者の問題

― 子供と一緒に農業体験、という企画は今とても人気があるようですね。作物をつくる以外にも何か新商品を企画して売り出す、PRのしかたを考えよう、といったプロジェクトも別につくって、そこにも市民が参加できるようにすると、窓口として入り易い人もいると思いますよ。

小野:一緒に活動している友人は営業マンなのですが、その友人も地元のために何かしたいと言っていますので、そういうかたちでの貢献も面白そうですね。地元でできたものを地元の若い人が売ってくれる、というのはすごくいいと思うのです。もちろん農作物を売ったこともなく経験も浅いですが、長い目でみたときにそういう人が育つことに意義があると思うんです。

― 農家の人に作物をつくってもらい、地元の若い人にマーケティングさせるということですね。面白い発想ですね。

小野:農家さんのところに行っていきなり「売ります」と言っても全然響かないと思います。だから一方で休耕地の開墾なども進めていき、農家さんとの交流を図っていくなかで実現できればうれしいですね。

― 農家さんを取材したとき、やっぱり売ってくれる人がいるのはとても農家さんにとってありがたい存在だと言っていました。また子供さんが参加できるイベントはとてもよいと思います。それがきっかけとなって、後継者問題にも何か解決策を導き出せないでしょうかね。

小野:後継者問題も、農業で普通に生活できるような収入を得ることができるのであれば何の問題もないのですがね。

― 長野県の小布施町では景観を活用したまちづくりをしていて、街自体に活気があり、農業も二代目とかまた初代で農業に従事する人も増え、農業生産法人を作ったりするなど盛んですね。町自体にインフラができてくれば、できるかもしれませんね。島根県の隠岐島などでもIターン、Uターンで農家をやっている若いひと達がたくさんいますよ。

小野:農業は作ったものを食べてもらう以外にも、例えば景観を見に来る人もいれば、体験や手伝いができるような仕組みを作っておけば、たくさんの人が農業に目を向けてくれると思います。でも今の農家さんはそれどころではないのが実情だし、若い人たちの発想でいろんなことをやっていきたい。

― 「トップリバー」というところが同じような取組をしていますよね。野菜の生産・販売だけでなく、新規就農、独立を目指す人のための農業研修、農家育成支援事業等。私は農業が衰退していくことというのは、いろんな影響があると思います。ずっと今まで農業で支えてきた国ですから。まず景観が変わっていく、そして民族性が変わっていくのでしょう。資源の無い国で人が資源であるのに、農業の衰退によって、この国を支えてきた民族性といったものまでもが変質するのには危機感を覚えます。

 

「この街に生まれてきてよかった!」がまちづくりの源泉

まちづくりや地域活性化が今いろんな地域で叫ばれていますよね。こういう状況になっているのは、今までそういうリーダーがいなかったか、あるいは、いたけど何もしてこなかったか、なんです。まちづくりや地域活性化よりも自分の家や暮らしが豊かになることを優先してきたからだと思います。今こそリーダーが必要なときだと思います。

― 良いリーダーの条件みたいなものはありますか?

小野:そうですね、あいつがこんなにがんばっているのだから俺もがんばろうかな、と思わせる人だと思います。自分から動く人。そういう人に心動かされますからね。

― 小野議員にとってまちづくりとは何でしょうか?

小野:目には見えないし、金でも計算できない、口でもうまく言えない。けれども次の世代、その次の世代へとつないでいく社会の価値だと思います。

― その「価値」はどのように評価するのですか?
小野:日本に生まれてよかった、この街に生まれてよかった、そこで子供を育てたい、と思ったりする気持ちではないかと思います。そう思うということは、そこに「価値」があるからだと思います。

― 小野議員自身も大分市でよかったと思うのですか?

小野:今の自分があるのは、そのとき、その場所で育ったことが自分にはあったからなんだ、と自分に肯定的に思えるからです。そういった人が増えれば、地元のこと好きで、地元のために何かしたいと思ったりして、つながっていくのではないかな、と思います。

― 今ある自分を誇れるから、大分市という街が好きだし、大分市に戻りたいとも思うし、大分市を盛り上げたいとも思う。そう思えることが価値であり、その価値こそがまちづくりの本質であるということですね。だから、「この街に生まれてよかった」と思えること、そういう場をつくる、ということがまちづくりの本質でしょうか。

小野:そうです。次の世代に「日本に、この街に生まれてこなきゃよかった。」と言われたらやはり悲しいですよね。「日本に、この街に生まれてきてよかった、ありがとう!」と言われるところに価値があると思います。

― 「よかった」と思える社会を築くことがまちづくりかもしれませんね。今日はどうもありがとうございました。

小野:ありがとうございました。

編集後記
ひとつひとつ言葉を選び、丁寧に想いを伝えていただいた小野議員。良いリーダーの条件に「あいつがこんなにがんばっているのだから俺もがんばろうかな、と思わせる人」とおっしゃっていました。まさにそれは身を賭して何かを変えようとしている小野議員の姿ではないでしょうか。
その行動も、もちろん「この街に生まれてきて良かった」と思う気持ち。それは、今の自分を誇りに思い、それは自分の生まれ育った場所があったから、という地元への誇り。そんな誇りの連鎖がこれからの大分市のまちづくりに必ず活かされるのを強く感じた対談になりました。