池田屋事件は、尊王攘夷派の志士らが新撰組の襲撃を受け、多くの死傷者を出した事件です。
幕末の世に起こった、倒幕思想の志士と新撰組らによる激突。この事件によって長州藩の憤激が起こされ、蛤御門の変のきっかけとなりました。
池田屋騒動とも言われるこの池田屋事件について、細かく紹介していきます。
そもそも「池田屋」とは?
幕末の世、外国に対して無力な幕府を倒そうとする「尊王攘夷派」の連中に対して、取り締まりや弾圧などの役目を担っていた「新撰組」。
「池田屋」という宿屋で、倒幕計画を企てていた連中を新撰組が襲撃したのが池田屋事件です。
現在に伝わる池田屋での襲撃 先陣をきったのは誰?
最初に先陣を切ったのは、局長である近藤勇です。
時代劇などでもおなじみのフレーズである、「御用改めであるぞ」という近藤の号令と共に、新撰組の隊士たちが一斉に内部へ突入していきました。
池田屋主人はこの物々しい様子に動転してしまい、「お二階の皆々様方、御用お改めでございます!」と叫んだため、近藤は「これはやはり何かがある」とみて、新撰組隊士たちもその後を追って二階へと上りました。
と同時に、別動隊が逃亡を防ぐべく、池田屋の周囲に散開。
1階と2階で交わされた斬り合い
池田屋には20人ほどの倒幕思想の志士たちがいました。
それらを前に近藤が一喝すると、志士たちは怯みました。
しばらく静寂の後、志士のうちの一人が斬りかかってきましたが、沖田によって返り討ちにあいました。
その後、志士は応戦する者と逃亡する者とに分かれ、隊士たちは各々が戦いを始めます。
しかし2階は天井が低いためまともにカタナを扱えず、志士は次々に階下に逃げてしまうため、新撰組らは1階で戦いを始めました。
近藤勇や沖田総司、長倉新八らの活躍で、志士を次々に討っていきます。
沖田総司が倒れる!? ピンチに土方が到着! ドラマチックな結末
実は池田屋から300mほど離れた場所に長州藩邸があったので、志士たちはそこまで逃げるように努めました。
沖田が病によりダウンしてしまい、戦線離脱する新撰組隊士が出だしたことから、志士たちに逃げるチャンスが生まれます。
ところがここで後続の土方隊が現れ、一気に制圧へと流れが変わりました。
その後、池田屋に残された重傷の隊士らが運び出され、本格的な捜査が行われました。
池田屋の捜査には何百人もの人間が関わったとされますが、池田屋の襲撃は新撰組の隊士ら34人のみの手で行われたものです。
参照元:matome 10分我慢すれば、新選組 池田屋事件がわかるまとめ