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黒田長政の逸話。兜にまつわる義理と人情

黒田長政の逸話。兜にまつわる義理と人情

    CATEGORY: AREA:福岡県

2.仲直りの印に交換。もともとは他人の兜だった

この一の谷の兜ですが、実はもともと福島正則の兜でした。朝鮮出兵においてささいなことから仲違いをしてしまう長政と正則ですが、朝鮮から帰った後に和解することになり、その証として長政の水牛兜と正則の一の谷兜を交換することにしたそうです。それぞれが写しを交換し、関ヶ原の戦いでは、長政が一の谷兜を、正則が水牛兜を着用して出陣しています。

こちらが正則と交換した長政の大水牛兜。重さは左が3300グラム、右は実践向きに軽量化されておりもう少し軽いようです。正式名称を「黒漆塗桃形大水牛脇立兜」(くろうるしぬりももなりだいすいぎゅうわきだてかぶと)といいます。角の根元部分は木でつくられ、残り部分は紙と漆で軽量化されています。すごい!

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(画像出典:福岡市博物館)

正則とも写しを交換しあったということで、兜はいくつもスペアがあり、大水牛の形は少しずつ形を変えながらも代々藩主に伝わっています。

3.長政の命の恩人・竹中半兵衛ゆかりの兜でもあった!?

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(画像:竹中半兵衛)
黒田長政は、父・黒田官兵衛が有岡城に幽閉された際、これを官兵衛の裏切りと考えた織田信長により処刑の命を出されます。それを救ったのが竹中半兵衛でした。信長へ偽の首を差し出し、長政を処刑したとして自分の城で長政を匿い、彼の命を救ったのです。竹中半兵衛は天才軍師として父・官兵衛と並び「両兵衛(りょうべえ)」と称され、官兵衛、長政ともに縁の深い人でした。

半兵衛は病気により36歳の若さで亡くなりますが、竹中家に伝わる書状によれば、半兵衛が用いていた一の谷の兜が、彼の死後、福島正則に伝わったといわれています。もしこれが事実であれば、黒田長政が一の谷の兜に並々ならぬ思いを込めて合戦時に用いたと考えられますね。