働き方改革:安定した公務員の仕事をやめ、農業を開始した理由

長靴の形をした岐阜県の西南端にある大垣市上石津町。滋賀県、三重県と境を接し、古戦場のまちとして知られる関ケ原町からは車で約15分ほどだ。

元は養老郡だったが、2006年3月、安八郡墨俣町とともに大垣市に飛び地で合併した。面積は旧大垣市より広いが、その90%近くは森林に覆われ、町の東西には養老山地や鈴鹿山脈が横たわっている。

先祖伝来の田んぼや畑を持つ家も多いが、町民のほとんどは兼業農家で、大垣市近郊はもとより、名古屋市などに勤める遠距離通勤者も多い。少子高齢化が進んでおり、後継者がおらず、耕作放棄地も増加している。全国各地の農村で起きている現実が上石津にもある。

そんな中、上石津町時地区に住む池井元(はじめ)さんは2017年に市役所を早期退職し、公務員という安定した身分を捨て、農業をしながら暮らす道を選んだ。生まれ育った故郷で池井さんが目指そうとするものはなんなのか。上石津町下山の自宅に池井さんを訪ね、お話を伺った。

安定した公務員の身分を捨て農業へ

池井さんは1962年生まれ。岐阜大学卒業後、当時の「上石津町役場」に就職。行政マンとして地域の活性化に尽力し、地元の人たちからは“がんちゃん”の愛称で親しまれてきた。

大垣市に合併後、上石津町役場は「大垣市役所 上石津地域事務所」となり、池井さんは退職するまで本庁勤務だった。現在は母と看護師の妻、子どもの4人で暮らしている。

家の前には畑が広がり、旬の野菜が元気に育っている。裏に建てられた大きなビニールハウスの中は、池井さんが自分で種をまいて育てた花や野菜の苗がいっぱいだ。

半農半Xで地域に根差した農業をめざす

春になりいろいろな野菜の植え付けが始まると、上石津ではサルやシカ、イノシシなど野生動物たちとの闘いが始まる。彼らは人家の周辺にまで出没し、時には花壇の花も食べてしまう。あまりの獣害の酷さにやる気をなくしてしまう住民も多い。

長く農林課にいた池井さんはそうした地元の状況をよく知っている。それなのに、あえて農業を中心とした暮らしに踏み切ったのはなぜだろう。 

-農業に興味を持ったきっかけは?

私の父は若い頃には炭焼き、また農業のかたわら肉牛を30頭ほど飼育するなど、いろいろなことをしながら生計を立ててきました。今風にいうなら「半農半X」ですね。幼い頃からそんな父の姿を見て育ち、いつしかそんな生き方を理想とするようになった気がします。でも、やはり農業では収入が不安定。生きて行くために私は安定した公務員の道を選びました。

しかし、20年ほど前、糖尿病が悪化して入院。退院した時、「これからは楽しいと思えることをして暮らそう。人生をやり直そう」と思ったんです。そこから少しずつ農業にシフトし、4年前に父が亡くなったのを契機に本格的に取り組むようになりました。

−なぜ、55歳で早期退職を?

5年待てなかったのです。5年経ったら社会は大きく変わってしまうでしょう。それはお金に換えられないなと・・・でも、もし上石津町役場に勤めていたとしたら、辞めていなかったかもしれません。

同じ公務員でも組織の大きな大垣市役所では、上石津町時代とは違って地域に根差した仕事はできないし、地域の人からも離れてしまう。もう、私の居場所はここにはないなと思いました。

-ご家族の反対はなかったのですか?

母は今でも納得していません。妻も「ほんとは辞めてほしくないなあ」と言っていました。でも、4人の子ども達はみんな「おとうさん、いつ辞めてもいいよ。私たちが働くから」と言ってくれたんです。

5年ほど前から家庭内でも「辞めたいなあ」と私が言っていたので、気持ちをわかってくれたのだと思います。

有機無農薬で少量多品種の農業

現在、池井さんは時地区を中心に約2haの田んぼ、約1haの畑を作付けしている。

栽培しているのは米のほかにサトイモやジャガイモ、タマネギ、ジネンジョ、ワサビなど多数。有休農地をほったらかしにしておきたくないという気持ちで始めたところ、「うちもやってほしい」とあちこちから頼まれるようになった。

これだけの土地を耕すには大型の農機具が必要だ。しかし、池井さんの場合、父が遺してくれたトラクターはあるが、コンバインや田植え機はないという。

-農機具はどうしているのですか?

本家が農林業を生業としているので、できないところは助けてもらったりしています。大型の農機具はとても高価。コンバインが約800万円、トラクターが約400万円。一式そろえようと思うと3000万円はかかります。

これではかなりの資産家でないと農業はできないことになる。それは本来の農業のあり方とはかけ離れたものだし、大規模になるほどリスクも大きくなります。ですから、大型農機具に頼らなくてもいい、少量多品種で暮らしに密着した農業をやっていきたいですね。

“百姓”として地域の手本になるような生き方を

池井さんは大垣市薬草組合の一員としてカミツレ(カモミール)の栽培にも取り組んでいる。収獲を終えたカミツレはハウスで乾燥させる。ハーブの一種であるカミツレは、リンゴのような甘い香りが特徴だ。

大垣市はカミツレ収穫量日本一を誇っており、収穫したカミツレは長野県にあるカミツレ専門の化粧品メーカーに送られ、入浴剤や化粧品などの原料となる。カミツレは草丈が長く、しっかりと乾燥させるには時々、上下をひっくり返してやらなければならないそうで、時間と手間がかかるが、池井さんは楽しそうに作業をこなす。

-農業をするうえでのこだわりは?

有機無農薬で化学肥料も使いません。知人から分けてもらった豚糞や鶏糞などを活用して、安全でおいしい野菜やお米をできるだけ安く提供していきたいと考えています。

大切にしているのは、常に愛と感謝の気持ちを忘れない事。食事の前に「頂きます」というように、私たちは常にほかの命を頂くことで自分たちの命をつないでいます。人も植物も動物もすべては地球という生命の循環の中にある。私にとって農業は食べるための仕事ではなく、生き方そのものなのです。

農業を通じて池井さんが目指すのは“百姓”だという。今では農業従事者の代名詞のように使われているが、本来は多くの姓を持つ者たち、すなわち民全体を指す言葉であった。百姓としての自分の生き方が地域のお手本になることを池井さんは願っている。

農業を通じて、地域を明るく・楽しく・元気に

池井さんは自らの農園を「咲顔(えがお)はじめ農園」と名づけた。看板の文字は尊敬する話道の提唱者・喜田寛さんの手によるものだ。それには農業で地域を明るく、元気にしたいという池井さんの願いが込められている。

現在、池井さんは町内の仲間10人ほどと一緒にサトイモの栽培・出荷に取り組んでいる。

-なぜ、サトイモを?

上石津は獣害がひどく、みんな頭を悩ませています。畑や田んぼの周りを電策で囲ってみても、シカやイノシシはなんとか防げるけれど、サルの被害はなかなか防げません。そこでいろいろ探したところ、サトイモはサルにやられにくいということだったので・・・。

出荷は名古屋に運営母体があり、上石津町牧田の平井地区でカミツレの無農薬栽培に取り組む「くりすたる農園」が引き受け、地元の学校給食などにも使われている。

広がりつつある笑顔の輪

上石津町牧田に住む桐山ふみさんも池井さんの大切な仲間の1人だ。地元の大手企業を退職して新規就農し、池井さんが暮らす時地区にある「えぼしの里」朝市の出荷メンバーの1人にもなった。

農業を通じて地域を明るく、元気にしたいという池井さんの“咲顔”の輪は少しずつだが、確実に広がりつつある。

将来は空き家を拠点に農業体験を

最近、池井さんは時地区の入口にある空き家を購入した。ゆくゆくはここを拠点に、農業体験をしたい人たちを受け入れていきたいという。

現代は大人も子どももストレスを抱えて生きています。人間性が抑圧され、心を病んでいる人が多い。そうした人たちの心が少しでも安らぐよう、農業を通じて土に触れることの喜びや野菜を育てることの楽しさを感じてもらえたら嬉しいですね。

池井さんは顔をほころばせながら、そう話してくれた。

「咲顔はじめ農園」では、現在地元の保育園や大垣市の子育て支援センターなどの農業体験を受け入れており、今後も個人・団体問わずいろいろなかたちでの体験を受け入れていきたいと語る。

基本的に土曜日の午前中で体験料は1000円。旬の野菜を組み合わせたお土産つきだ。農業を通じて人とつながりたい。みんなで収穫を分かち合いたい。“咲顔”をキーワードにこれまでになかった農業の新しいかたちを模索しながら、池井さんは今日も大好きな畑に出かけていく。

PR for こゆ財団(宮崎県)
地方×求人:地域の未来を創る起業家10名・10事業を募集!
世界一チャレンジしやすいまち
宮崎に移住して、
地方の課題を解決する。
10のプロジェクトで、
10人の起業家を募集中!

関連記事一覧