坂本龍馬のアイディアを世に伝え、血染めの掛け軸に詩を残した長岡謙吉

運命的な出会い

この2人が出会うのは、ペリー来航後、いわゆる「黒船来航」の事件が起こってから後のことでした。黒船来航に衝撃を受けた龍馬は西洋を良く知る河太小龍を訪ねて長崎へ。

この時、小龍が龍馬に紹介した人物こそ長岡謙吉でした。謙吉は12〜13歳の頃から河太小龍に西洋医学を学んでいたそうです。

2人が地元から遠く離れた長崎で運命的に出会ったのは謙吉32歳、龍馬30歳の頃と言われています。

龍馬の数ある功績の影に常にいた長岡謙吉

坂本龍馬が世に残した功績として挙げられるもののひとつが「薩長同盟」。この薩長同盟の文章をまとめたのは長岡謙吉だと言われています。

謙吉は龍馬が考案した新しい国家の構想である「船中八策」も手がけ、龍馬の構想を世に伝えるための役目を担っていました。

血染めの掛け軸に書かれた追悼文

謙吉は、1度は妻を迎えて家庭を持ち落ち着いた生活を送ったものの龍馬に後押しされるように妻子を捨て、日本の改革に向けてひた走ったと言われています。

運命的な出会いの翌年には龍馬とともに海援隊に身を置いた謙吉。龍馬を影ながら支え海援隊隊長も務めましたが、39歳のときに病死しています。

長岡謙吉の追悼文は、龍馬暗殺時の掛け軸の上部に記されています。
参照元:坂本龍馬記念館 坂本龍馬ゆかりの地

国立博物館所蔵国宝・重要文化財 e国宝 血染懸軸(梅椿画)

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