MACHI LOG

プータローから大老まで昇りつめた「井伊直弼」の生い立ち

プータローから大老まで昇りつめた「井伊直弼」の生い立ち

    CATEGORY:観光 AREA:東京都

現代でいうプータロー!? 辛い生活の始まり

兄が藩主となり父の後をついでいた為、その他の井伊家の男子は養子に出されます。

養子となった兄弟達は次々と家をでていきますが、直弼は養子の話が実現せず、藩にとどまることとなりました。少ない生活費を彦根藩からもらい、暮らしていくことになります。

そして直弼17歳の時、父が亡くなり彼の環境は一変します。藩から300俵の支給はありますが、城外の質素な屋敷に移り住むこととなりました。

その屋敷を直弼は「埋木舎」(うもれぎの屋)と名付け、こう詠んでいます。

“世の中を よそに見つつもうもれ木の 埋もれておらむ心なき身は”

一生をここで朽ち果てるかもしれないという覚悟を決め、その上で心は決して埋もれないという決意を表したそうです。

地道に日々の修練に励んだ15年

直弼は埋木舎に移り住んでから15年という歳月をそこで過ごしました。

その間、和歌にある決意を表すように、禅、武術、兵学、和歌・国学、陶芸、華道、茶道、政治、海外情勢と多岐にわたり勉学をすすめ、様々な人と交流をもちました。

あの有名な「一期一会」は直弼の言葉

誰もが聞いたことのあるこの言葉、実は井伊直弼が確立した茶の湯の概念。著書の中で直弼はこう言っています。

「茶湯の交会は、一期一会といひて、たとえば幾度おなじ主客交会するとも、今日の会にふたたびかへらざる事を思へば、実に我一世一度の会なり。

さるにより、主人は万事に心を配り、いささかもそまつなきよう深切実意をつくし、客にもこの会にまた逢いがたき事をわきまえ、亭主の趣向、何ひとつおろかならぬを感心し、実意をもって交わるべき。これを一期一会という。」(茶湯一会集・閑夜茶話 / 岩波文庫)