新撰組の幕引き。最後の局長、相馬主計(そうまかずえ)

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相馬主計という方ご存知でしょうか。彼は新撰組最後の局長となった人物です。彼の人生についてまとめてみました。

どんな人物?

現在の茨城県笠間市にあたる常陸国笠間藩で生まれ育つ。1865年に脱藩し、江戸幕府の歩兵徴募に応じた。

第二次長州征伐では三津浦(現在の愛媛県松山市)に駐屯。生年、没年いずれも不詳。

新撰組での活躍

1867年頃に新撰組に加入、翌年の鳥羽・伏見の戦いでは、入隊数ヶ月にも関わらず、隊長附50名の組頭に抜擢される。

1868年の甲陽鎮撫隊(甲州の反乱や暴動を収めるよう幕府に命じられた後の新撰組の名称)では局長付組頭に就任。

流山にて新撰組局長近藤勇が投降した際、付き従っていた相馬も
逮捕されてしまい旧藩預けの身となるが脱走し仙台で新撰組へ合流、蝦夷地へ。土方歳三の配下として箱館戦争を戦う。

土方歳三の死から新撰組幕引きまで

1869年5月11日、土方歳三が凶弾に破れ戦死する。

箱館市内が新政府軍によって占領される中、弁天台場を守る相馬らは五稜郭本陣に先立ち5月15日新政府軍へ降伏。

相馬を新撰組隊長として恭順の書状に名前をしたためここに新撰組の幕が引かれた。

自殺によりその生涯を終える。

東京で数年投獄された後、伊藤甲子太郎暗殺の嫌疑によって終身流罪の判決を受け伊豆の新島へ。

島では寺子屋を開き、子供たちを教えた。

身柄を預けられていた大工棟梁の長女と結婚。

明治5年10月に赦免状が届き自由の身に、妻を伴い東京へ。

割腹自殺によりその生涯を終える。(明治8年2月までは存命が確認されており、自殺が通説とされているが詳細は分かっていない。)

相馬の生まれた年は不詳とされていますが、1835年と1845年の2つの説があるようです。1835年説をとると土方と同い年、当時34歳ということになります。

相馬主計が局長に任命された日を、高松凌雲(箱館戦争へ参加した医師)は書簡で5月15日と記しているそうです。

3日間の局長の歌に込められた思いを感じて下さい

これを正しい日とし、戊辰戦争終結の日を新撰組解散の日とするならば、相馬はたった3日間で局長の任を終えたこととなります。

5月11日には新政府軍の箱館総攻撃が始まり、その日に土方を含む7名の新撰組隊士が亡くなりました。仲間が次々と倒れ、迫りくる新政府軍によって刻々と悪化する戦況。そんな中で任命された新撰組局長という責務とすぐに訪れた組の幕引き。武士として、新撰組局長として彼が背負わなければならなかったものの重さはいかばかりかと…

新島には彼の碑があり島を離れる時に詠んだ歌が刻まれています。

「さながらに
そみし我が身は
わかるとも
硯の海の深き心ぞ」

明治五年十月
新選組最後の隊長
相馬主計

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