安部総理も尊敬する?激動の日本から船出、長州5傑の旅立ち

Choshu_Five
(写真:Wikipedi長州五傑)

今日2014年5月12日からちょうど151年前、横浜港から英国へ密出国した5人がいます。長州5傑と呼ばれる井上馨、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)です。

後の時代において重要な役割を担うこととなった5人の長州藩士。

長州5傑の軌跡をまとめてみました。

1,出立
藩命により英国への出立を目指し、当時の駐日英国総領事エイベル・ガウワーへ助力を求める。ガウワーの協力により、5月12日商船で横浜港を無事出航。

この密命が知られては幕府によって命を落とされるという緊迫した背景での出航でした。(この2日前には長州藩が馬関海峡を封鎖し、航行中の外国商船に対して無通告で砲撃した下関事件が起こっています。)

2,ロンドンUCLへ
同年11月に5人はロンドンへ到着。受入先となったのは英国で最初の大学として1826年に設立されたUniversity College London(UCL)。(UCLは当時、信仰・人種・国籍の違いを越えてすべての学生を受け入れる理念を掲げた英国内唯一の大学でした。)

3,ロンドン到着から半年後・2人の帰国
翌年1864年、後の薩英戦争のきっかけとなる生麦事件(薩摩藩行列に乱入したイギリス人3名を、供の薩摩藩士が斬り付け殺傷した事件)、下関戦争の報道を受け、伊藤・井上の2名は急遽帰国を決意。4月中旬に英国をたちます。(西欧文明を知る彼らだからこそ、藩だけではなく日本が滅んでしまうという危機感は計り知れないものだったでしょう。)

4,伊藤・井上の奔走
6月下旬に山口へ到着した2人は藩への説得を開始。海外の情勢とともに攘夷が無謀なこと、開国の必要性を論じます。しかしながら防戦の構えを崩さないという藩の方針は変わりません。(彼らが示そうとした諸外国の力は当時日本で暮らす人たちにとって想像することすら困難な内容であったと思います。

日本を、藩を守りたいという想いは皆同じであれども、相容れないことに対する悔しさや苛立ちはいかばかりだったかと。)7月に入り藩から止戦交渉を命じられた井上は英国艦隊へ赴き攻撃猶予を試みるが失敗。その後イギリス、フランス、アメリカ、オランダの四カ国の艦隊が下関を砲撃することになります。(その後、高杉晋作を伴い、数回に渡る交渉と失敗を経てようやく講和条約の締結を成します。英国留学をしていたその他の3名は、1866年に遠藤が、1868年に野村と山尾が帰国しました。)

長州5傑の活躍

伊藤博文
初代内閣総理大臣に就任、大日本帝国憲法を発布し日本を立憲主義国家に導く。

井上馨
初代外務大臣に就任、不平等条約改正に尽力。

野村弥吉(井上勝)
イギリスで鉄道や鉱山学を学び、帰国後は日本の鉄道発展に貢献し、鉄道の父と呼ばれる。

山尾庸三
帰国後、工業技術の発展に活動を開始。工業が国に与える発展、また工業化のための人材確保、人材を育てる学校設立の必要性を主張し、工部省内に工部大学校を設立した。

遠藤謹助
大蔵省に入った後、大阪貨幣局長となり、近代的貨幣制度を導入。

昨年2013年は彼らが英国へ留学してからちょうど150年。それを記念してUCLでも記念式典が行われました。(式典の様子が動画で見られます)UCLウェブサイト

先日、安倍総理もUCL内の記念碑を訪れていましたね!長州五傑については様々な書籍もでています。漫画もあるようなので、この機会に読んでみたいと思います!

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