吉田松陰の妹に愛された志士「久坂玄瑞」と涙のストーリー

幕末の志士達に多大な影響を与えた吉田松陰。彼が「防長に於ける年少第一流の人物で、無論また天下の英才だ」と評した青年がいます。長州藩士久坂玄瑞(くさかげんずい)です。そんな久坂玄瑞と妻文(ふみ)についてまとめてみました。

医師の家に生まれた秀才

久坂は萩の藩医を父とし、幼少の頃から高杉晋作も通っていた城下の塾で学んでいましたが、15歳になる頃には母、兄、父を相次いで亡くし久坂家の当主となります。医者として名を玄瑞と改め、16歳になる頃にはその秀才ぶりが城下の内外に知れ渡っていたそうです。後に弟子入りした松下村塾では高杉晋作とともに「村塾の双璧」と評されています。

身長六尺(180センチ)の美男子

 

Genzui_Kusaka

久坂は身長も高く、京都の花街ではもてもての美男子だったようです。桔梗屋の辰路(たつじ)を馴染みの芸者としていました。またその声も素敵で、久坂が詩を吟じながら鴨川を歩くと、河畔の店から女性たちが顔を出して長州の久坂さんだ、と騒然となったという話も残っています。

妻・文との出会い

九州遊学中、熊本に宮部鼎蔵を訪ね、吉田松陰について学ぶことを強く進められた久坂は松蔭と手紙のやりとりで激論をかわし、1857年の春に松下村塾、松陰のもとへ弟子入りしました。

入塾からしばらくした同年12月、久坂の学才を愛する松蔭は3人の妹の内ひとり文との結婚を勧め、これを実現させました。この時、久坂18歳、文子15歳でした。

(松陰から妹との結婚をすすめられた際、久坂は一度これを断ったというエピソードがあります。これは文子の器量が気に入らない、久坂の理想がとても高かった、のが理由とされています。そう告げた久坂は、男子たるもの器量で妻を選ぶとは何事だ!と怒られたとか…ただ、師匠の妹さんを妻にするというのに相当なプレッシャーはあったはず!)

短い結婚生活と21通のラブレター

時は激動の幕末期。若くして攘夷志士のリーダー格を担っていた久坂は藩内外を奔走する日々が続きます。実際に2人が一緒に生活し穏やかな日々を送ったのは半年程と言われます。しかし久坂は故郷を想い、妻を想い、文に宛てた手紙を21通残しています。この手紙は結婚翌年から久坂が死ぬ1ヶ月半前に至まで続きました。

(宛名のない手紙もあり、実際はそれが愛人に送ったものだとされる逸話もあります。実際に久坂は馴染みの芸子との間に子をもうけているということですが…文子さんを思うとこの逸話が嘘であってほしいです!)

久坂の死、そして二度目の結婚

1864年、非業の死をとげる久坂。禁門の変(蛤御門の変)でのことでした。敵兵に火を放たれ、火の海となった鷹司邸に最後に残った玄瑞は、寺島忠三郎とともに自刃します。享年25歳でした。

それからおよそ20年後、文子は男爵の楫取素彦(かとりもとひこ)と再婚します。実はこの楫取、松陰の門下で、彼も松陰の妹寿子(ひさこ)を妻にしていました。寿子は1881年に病気で亡くなり、文が結婚を決めたのは寿子が没して2年後のことでした。楫取美和子という名で残りの人生を生きています。

ずっと大事に手元に

Katori_Miwako(画像出典: Wikipedia)晩年の文さん

文は楫取に嫁ぐ際、玄瑞からの手紙をもって再婚することを望んだといいます。死ぬまで久坂からの手紙を大切にしていたそうです。晩年は山口県防府市で過ごし、79歳で亡くなりました。

2015年のNHK大河ドラマは長州藩が舞台。主人公となるのが久坂の妻であり松蔭の妹である文さんです。キャストは文役が井上真央、楫取役が大沢たかお、ここまでが発表されています。久坂役の俳優さんは誰になるのでしょうか!

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